●ケルト神話と日本神話の共通点(1)島国という地理的特徴
―― 地理的には北欧にも近いともいえますが、北欧神話と何か共通性があるのでしょうか。
鎌田 北欧神話との共通性は、神々の闘争といいますか、そこは非常に共通しています。ダイナミックに神々が相争い、戦いを繰り返す。その神々の戦いの物語という点では、いろいろな政権交代の話があるという点で共通しています。
しかし、それは世界中にある神話の一つのパターンでもあるので、そういう意味で特性があるとまでいえるかどうかは別ですね。
では、どこに特性があるかというと、私の観点では、「悲劇的な側面」といいますか「悲哀観」で、アイルランドにも日本にも結構共通する、神話の中の悲哀観というものがあると思います。
ギリシア神話は、話自体がかなり明朗闊達な感じがあります。しんみりしたりエレジーのようになっていったりする要素は少なく、神々の活動は非常にドラマチックにドライに展開していく。
けれど、前回お話しした浦島太郎につながる話は、うら悲しさ、もの悲しさを含み持っているわけです。そういった、うら悲しさ、もの悲しさが生まれてくる要素、条件は何かを考えていくと、これはやはり地理的特性が大きいのではないかと思います。
このケルト神話群と日本神話群を比べると、やはり地域特性の共通性が見られると思いますが、日本とアイルランドの地域特性は、川上さんから見るとどういうところにあると思われますか。
―― やはり島国といいますか。大陸に対する島国というところにもなってくると思いますし、閉じられた世界の中で、先ほど先生がお話された、汎神論的とはいいませんが、いろいろな神様が存在しているという部分は残りやすかったのかなという気がします。
鎌田 先ほど悲哀観ということを言いましたが、ケルト神話と日本神話の大きな特徴は、やはり大陸ではないということですね、どう考えても。大陸ではないということは、海に面しているということになりますよね。本当に大陸のど真ん中、中原のような地域だと、海という発想はない。河は重要な要素としてあったとしても、海はないからです。
でも、日本は四方が海に囲まれています。もちろんアイルランドも丸っこいから、四方八方が海です。海の彼方には、東のほうを見ればイギリス、ブリテン島があるけれど、西のほうを見れば、島はなく、それが大西洋の果てまで広がっていて、その向こう側にはなにもない。では何の国があるかというと、神々の「ティル・ナ・ノーグ」と呼ばれる常若の国があります。
日本の場合も、東の果てに太平洋があるけれど、その先にはなにもない。そこは常世の、母の国のようなもので、神々の魂の世界がある。こうした世界観が生まれてくる。これは、地の果ての島国特有の重要な神話的表象になっています。
●ケルト神話と日本神話の共通点(2)悲哀・悲劇・もの悲しさ
鎌田 そのようなところに流れ着いた人たちは、ある意味で悲しいというのか、ある意味で、果てに直面しているので、その極限に至っている自分たちの世界の、エッジに立っている者の持っているエレジー、悲哀のようなものがやはり残ると思います。
大陸にいるかぎり、ドラマチックでドライな戦争、侵略行為が繰り返されます。だから、振り返る余裕もないくらい、常に隣近所を気にしなければいけません。めまぐるしく政権交代をするとか、中国を見ても分かりますが、本当に革命が起こって前の国がなくなってしまうわけです。
アイルランドや日本、特に日本はそういった革命が1度も起こっていない国です。アイルランドも、いわゆる革命のようなものではなく、いろいろな王様が登場して、それぞれの地域を支配したけれど、日本のような中央集権的な、天皇のような存在は生まれませんでした。それぞれの地域代表のような存在はいましたが、それらの英雄王たちが、しかし交代していく、『平家物語』のような無常があったわけです。
日本にもそうした無常観、「もののあはれ」観があり、そうした、ある種、海を隔てて向こう側にはなにもない世界に面しているという地域特性が持つ悲哀の感情、エレジー的なものが共通する重要な要素として(日本とアイルランド)それぞれにあります。それがアイルランドの民謡によく表われていると思います。
日本の民謡の中にあるものも、また、日本人がイギリス民謡として知っているもののほとんどがアイルランド、あるいはスコットランドの民謡ですから、そうしたものに心惹かれるという特性は(日本人はイギリス民謡、アイルランド民謡が好きですから)やはり心情的に共通するものがあるのだと思います。
そういう物語の中の一つの要素が「浦島伝説」で、それによく似ている共...