●コンプライアンスのプラス面とマイナス面
―― 続いてコンプライアンスについてですが、2016年くらいからコーポレートコードの中に採用されて、コンプライアンスがあったことによって日本の開示情報はかなり透明性を増して、いろいろな良くなった面と、逆に企画部門の優秀な人の4分の1くらいが(コンプライアンスのために)張りつかざるを得なくなったというマイナスの部分の両サイドがあると思います。先生はどのような感じで見ていらっしゃるのでしょうか。
柳川 そうですね。おっしゃる通り、両サイドあると思います。明らかに社会的に見ても、あるいは企業の業績的なものから見ても問題だと思われるような行為や活動が見過ごされてきたり、漏れてきたりした部分があったことは事実だと思います。それをコンプライアンスという形できちんとチェックして、問題があるところはちゃんと直していくという仕組みができたことは重要なことだと思います。
ただ、その一方で、あまりにもコンプライアンスを気にするあまりに、そこに相当過剰な労力をかけたり、あるいは先ほど(前回)の話に近いですけれども、少し冒険的なことをやってみようというのもかなり問題になるのではないかということで抑制的になってしまったりという部分があることも事実です。プラスの面とマイナスの面がけっこうある気はします。
●コンプライアンスの徹底が生む「レピュテーショナルリスク」問題
―― もともと日本みたいにそんなに悪い人がいない社会で、そもそもこんながんじがらめのものが要るのかと。あれもおそらく、もともとは良かれと思ったのだけれども、気がついたらがんじがらめになっていて…。(でも今さら)そうしたらこれ(コンプライアンス)を消せよ、というような感じのことはできませんよね。
柳川 そうですね。いくつかのポイントがあるのだと思っています。1つ大きなポイントですけれども、明らかに白黒の線引きがしっかりする部分について、黒なものは黒だと社会が求めるのであれば、そこはしっかりやらないといけないと思います。ただ、グレーの部分や、ある程度当事者に自由度があるような部分というのも、コンプライアンスの話ではけっこうあります。
そのときに、1つはグレーだと認定されるだけで問題だから、そこはもう全部白にしようというマインドが働いてしまうということがあります。そのときに大きなファクターになるのが、法的な問題よりは、マスコミや世間に問題にされるというところで、コンプライアンス上の構造としては特に日本ではもうマスコミで騒がれたらアウトだというような感覚がどちらかというと強いと思います。
―― おっしゃる通りですね。
柳川 なので、その部分が「レピュテーショナルリスク(企業の評判に関わるリスク)」になるというわけです。「評判が落ちるとこれだけでアウトだから、評判が落ちる可能性があることはできない」となってしまうと、おっしゃるところのがんじがらめになってしまっている部分についてですが、その部分は大きいと思います。
―― 確かにそうですね。
柳川 もちろん、ルールが作られることでレピュテーショナルリスクの部分が形成されるわけなのですけれども、レピュテーショナルリスクはすごく大きいから、なんとなくそういうことがどんどんできなくなります。だから厄介なのは、レピュテーショナルリスクというのはよく分からないということです。
―― 確かに、規定されているわけではないのですね。
柳川 はい。規定されているわけではないのです。
―― けれども、ものすごく恐れおののきますよね。
柳川 法律できっちり線が入っていて、「この線から出ていないではないですか」と抗弁すればみんなが納得してくれるというような話ではないので、ぼやっとした線引きのぼやっとした中で、なんとなくこんなことやると叩かれるのではないかというような…。
―― OBラインがはっきりしていないわけですね。
柳川 そうですね。そうすると会社の中のコンプライアンス部門とかはそこを広く取って、問題にならないようにせざるを得なくなるわけです。
なので、日本の大きな課題はここだと思います。コンプライアンス自体が問題というよりは、コンプライアンスにある種のレピュテーショナルリスクがくっついて、このレピュテーショナルリスクは、過度にというのは少し言いすぎかもしれませんけれども、相当ウエイトを置いて企業運営をせざるを得ない実情があるので、相当な重荷になってしまっているという気がします。
●SNS炎上がレピュテーショナルリスクを増大させている日本
―― 先生がかなり明確にしてくれましたけれども、そのレピュテーショナルリスクを考えたら動けないですね。どちらかというとOBラインがはっきりしていないものに対して、「あっちの...