●ハマスの攻撃の裏に隠されたガザ市民の声
皆さんこんにちは。今、パレスチナ地区のガザ地域で起きている悲劇について、識者の中には精密な空爆や特殊部隊にたよって厳密に考えれば、市民を攻撃しなくても済むのではないか、あるいは市民を攻撃するべきではないというまことにもっともな意見、考え方も出ているわけですが、なかなかこれは(うまくいかない。)ガザというすこぶる人口密度が高く、東京都の区部全体にも満たない狭い地域においては、必ずしも円滑にいくとは限らないということが、今回の悲劇を生み出しているわけです。
そもそもガザ市民とハマス、一般住民とハマスの活動家をどのようにして区別するのかというのが、なかなか難しい問題です。ハマスは、かつての毛沢東風にいえば「人民の大海」、人民の大きな海の中に隠れ、そしてときには人民と一体化して戦っているわけです。
あるときには人民の大海に隠れながら、そしてあるときには「人民と一体化している」ということをいいながら、住民の一部を巻き込む形で戦うことも辞さなかった。そういう歴史的なかつての光景を目に浮かべることもできます。
(それが)日本や欧米において伝わってこない、ともすればわれわれに理解できないのは、ハマスの戦術がそもそも戦闘員と非戦闘員の区別を曖昧にしてイスラエルの攻撃をしばしば誘発し、あるいはイスラエルの攻撃を招いても仕方のないような戦術ないし思惑を取っているということです。
これについて、一般のガザ市民はどう考えているのか。そういうことが、少なくとも日本の報道者たちは、私の知る限り分析していないのではないかと思えてならないのです。
一般市民があれだけ犠牲として戦火に巻き込まれているならば、そういう戦火を招いた主体として「イスラエル軍が悪い」というのは当然ですが、そもそもそれを挑発的に招いたハマスの責任やその動きをどう考えるのか。これは何も性急に批判するとか賛成するというような問題ではなく、また「立場・党派性を明らかにしろ」というところに直ちに行き着く問題でもありません。
そうではなく、批判的な意見やハマスの攻撃に対して攻撃的な意見といった多様な意見がそもそも最初においてはあったはずです。しかし、そうしたことを取材して考えていくという多様性が、ハマスのああいう目立った攻撃をもとに消されてしまい、ガザ市民の本...