●「水の都」としての江戸
―― 皆さま、こんにちは。
堀口 こんにちは。
―― 本日は、堀口茉純先生に、「『江戸名所図会』で歩く東京」ということでお話を伺ってまいりたいと思います。堀口先生、どうぞよろしくお願いいたします。
堀口 お願いいたします。
―― 前回のテーマは内藤新宿でした。四谷大木戸のすぐ外側にできた新しい宿場町の新宿ということで、浅草商人まで交えた開発物語も含めてお話いただきましたけども、今回はどのようなお話になりますでしょうか?
堀口 今回は水という切り口で、『江戸名所図会』を見ていきたいなと思っているのです。
―― はい。
堀口 というのも、江戸は水の都といっても過言ではないくらい、人工的に作られた水路が張り巡らされていた都市なのです。
―― はい。
堀口 『江戸名所図会』にも、その様子がしっかりと描かれているということです。
―― なるほど。
堀口 例えば、内藤新宿編でご紹介いたしました、この「四谷大木戸」の1枚にも重要な水路が描かれているのです。
―― これは、どこが水路になるのですか?
堀口 こちらは、手前側が江戸市中で、大きな石垣があって、この四谷大木戸を挟んで、向こう側が内藤新宿に入っていくという位置関係だったと思うのですが、奥の内藤新宿側をよくご覧いただきますと、水が流れているのです。
―― 水が。
堀口 はい。この地面の下に。
―― なるほど。この辺りですね。
堀口 そうです。これが人工的に作られた水路なわけなのですが、川上さん、この水路は何のための水路だと思いますか?
―― さすがに、この場所でということになると、飲み水になるのですかね。
堀口 正解です。側溝に流れているから下水かと思われる方もおられるのです。
―― なるほど。
堀口 実はこれ、飲み水のための水路です。
―― はい。
堀口 江戸に飲料水を提供するための水路に玉川上水というものがありました。この水路に従って、いかめしい雰囲気のお屋敷が描かれていますが、これは、玉川上水を管理していた水番屋なのです。ゴミをさらったり、水質をチェックしたり、水量が多すぎるときには、自然の川のほうに水を落としていったりという調節をしていたお役所です。
―― はい。
●江戸の重要なインフラだった上水道
堀口 玉...