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江戸文化を育んだ吉原遊郭…版元・蔦屋重三郎の功績とは

『江戸名所図会』で歩く東京~吉原(2)「公界」としての吉原

堀口茉純
歴史作家/江戸風俗研究家
概要・テキスト
江戸時代の吉原を語る上で欠かせない人物が、吉原で生まれ育ち、出版界で名を馳せた蔦屋重三郎だ。蔦屋の活躍によって様々な身分の人々の交流の拠点となり、観光地としても人気だった公界(くがい)としての吉原の一面を掘り下げよう。講義後半ではロケにも出向き、江戸時代の痕跡が残る現在の吉原を巡る。(全2話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:15:44
収録日:2024/06/05
追加日:2024/11/25
≪全文≫

●吉原で生まれ育ち、版元として大出世した蔦屋重三郎


―― 前回、吉原がいかに江戸の中で高いステータスがあったかということをお話しいただきました。そして、ある意味では江戸文化が育まれた場所でもあり、その地形的な特色についてもご解説いただきましたが、今回はどのようなお話になりますか。

堀口 今回も、江戸の遊郭の吉原が公に開かれた世界である、公界(くがい)であったという側面を取り上げたいと思います。

―― 苦しくなくて、公という公界ですね。

堀口 はい。公界・吉原を語る上で外せないのが、蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)という人物です。

―― 蔦屋というと、いまもそういう書店さんのグループがあったりしますけれど、当時もすごい江戸文化を切り開いた方ですよね。

堀口 はい。蔦屋重三郎、通称蔦重(つたじゅう)は、江戸時代中期に活躍した版元です。喜多川歌麿、東洲斎写楽などをプロデュースしたことでも知られておりますが、彼は吉原で生まれて、吉原で育って、吉原の公界的な側面を利用して出版業界で大出世した人なのです。

―― はい。

堀口 こちらは「江戸名所図会 新吉原町」ですが、蔦重はまさにここに描かれている新吉原遊郭の中で生まれて、7歳のときに蔦屋という屋号の家の養子に入ったのです。遊郭の中は妓楼(ぎろう)だけではなくて、妓楼に客を案内する引手茶屋(ひきてぢゃや)とか、お茶屋さんはもちろんですが、八百屋さんがあったり、髪結い床とか、人々が生活するためのさまざまな商売の店が立ち並んでいたわけです。蔦屋もこの中で商売をやっていた家でして、一族が引手茶屋の経営も行っていたようなのです。蔦屋はそこで、『吉原細見』という吉原のガイドブックとか、遊女の評判記を販売する版元としてキャリアをスタートさせます。

―― やはり最初から、そのような出版物を出していた版元ではあったわけですね。

堀口 そうですね、小売店というような感じでスタートをさせるのですけれども、やがて独立して、吉原の出入り口にある大門前の五十間道(ごじっけんみち)というところに店を出します。

―― はい。

堀口 拡大するとこちらです。

―― はい。

堀口 手前側が日本堤で、吉原への出入り口となるランドマークの見返り柳があります。その横のスロープ、衣紋坂を下って、大門...
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