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新宿の歴史…かつては馬糞臭い宿場町だった「内藤新宿」

『江戸名所図会』で歩く東京~内藤新宿(1)内藤新宿の誕生と役割

堀口茉純
歴史作家/江戸風俗研究家
概要・テキスト
江戸時代後期に書かれた地誌『江戸名所図会』(えどめいしょずえ)をひもとくと、江戸時代の街の様子や人々の暮らしぶりが見えてくる。今回は、五街道の宿場町として重要な役割を果たした「内藤新宿」を取り上げ、新宿のかつての姿を振り返る。(全2話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:12:28
収録日:2024/02/19
追加日:2024/04/21
≪全文≫

●江戸の交通を支えた五街道の宿場町


―― 皆さま、こんにちは。

堀口 こんにちは。

―― 本日は、堀口茉純さんに、「『江戸名所図会』で歩く東京」ということでお話をいただきたいと思います。堀口先生、どうぞよろしくお願いいたします。

堀口 お願いします。

―― 堀口先生には、以前も「『江戸名所図会』で歩く東京」というシリーズで日本橋界隈をご案内いただきましたけれども、今回はどちらになりますか?

堀口 今回は、江戸の宿場町「内藤新宿」を取り上げたいと思っております。

―― 内藤新宿というと、皆さんご想像の通り、今は新宿ということになりますね。

堀口 はい。そうですね。あの繁華街の新宿です。

―― はい。

堀口 江戸時代、どうだったのかということなのですが、徳川幕府によって、江戸と地方を結ぶ5つの街道の「五街道」が整備されました。その街道の要所には、宿場町というエリアをつくって、旅人の休息はもちろんですが、宿泊施設だったり、物を輸送するときに必要な人や馬の継立をする設備が整えられました。

―― 継立というと、よく「駅伝」ともあわせて使われる言葉ですが、継いで送っていくような感じのものですね。

堀口 そういうことですね。1人でずっと持っていくのではなくて、リレーして送り届けるという形をつくります。そこで宿場町が重要な役割を果たしたわけです。江戸の周辺には、やはり宿場町がありまして、五街道があります。それらを通って江戸にやってきた人とか、江戸から出ていく人が通る、いわば江戸の玄関口になっていたわけです。五街道のうち、東海道には品川宿、甲州道中には内藤新宿、そして中山道には板橋宿、日光道中・奥州道中(途中で分かれるのですけど、最初は同じ筋)には千住宿なわけですが、今回は甲州道中の内藤新宿を取り上げたいと思います。


●参勤交代以外の役割で重宝された甲州街道


―― 新宿というと、今、中心地はやはり新宿駅近辺でしょうか。

堀口 そうですね。

―― それとか、歌舞伎町の辺りが繁華街ということになりますけど、当時はどの辺りがメインの範囲だったのですか?

堀口 内藤新宿といったときの範囲というのは、四谷の大木戸から、青梅街道が分岐する追分(おいわけ)というところがあるのですけれども、そこまでのだいたい東西におよそ1キロの範囲です。実は、その甲州道中を利用して参勤交代...
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