ある概念を理解するためには、いくつかの事例をもとにその概念の適用範囲を見定めるような推論を働かせる必要がある。いわば「点から面」へのそうした推論は「アブダクション」と呼ばれ、人間社会の発展に欠かせない役割を果たしてきた。(全5話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●学習を助ける「アブダクション」という推論形式
―― そこで、先生が例としておっしゃっていたシステム1とシステム2の概念もお話しになっています。
例えば、先ほどのウサギの例ですと、白くてかわいらしい動物がウサギかと思っていたら、直感的にそう子どもが判断していたら、かわいくて白い動物がいたけれど、これは猫だよと教えられると、今までの直感は違ったのだということに自分で気がつく。ですから、白くてかわいいのはウサギなのだなと思ったのが、システム1の直感だとすると、その後で白くても、これは猫といって、猫もかわいいでしょとか言われると、これは違ったのだということで、この気づきがシステム2ということでしょうか。もう自分でつくった概念の見直しが行われてきて、それの繰り返しでだんだんと正しい概念を身につけるのだというお話もございました。そのあたりの過程というのも本当に興味深いお話ですね。
今井 そうですね。だから、そういう人間の知識習得の仕方、言葉もそうですし、それ以外の知識の習得の仕方も基本的には、私が考えた言葉ではないですが、「アブダクション(abduction)」といわれる推論の仕方なのです。
これは、いわゆる推論というと、学者の方はたいてい演繹推論のことを思い浮かべると思うのです。哲学、論理学でも偉いのは演繹で、アブダクションはむしろ正しい推論ではないといわれます。それはその通りで、正しくないのです。すごく間違うのです。
ではアブダクションがどう働くかには、いくつかの側面があるのですけれど、言葉の習得でいうと、いちばん典型的なのは、点を面にするということをしないといけない(ということ)です。ウサギという、目の前に「ウサギだよ」と言われたモノに対して、ウサギという概念を推論するには、1つの点、あるいは2つ、3つ、少ない点から面をつくらないといけない。ウサギの範囲を考えないといけないということです。
(つまり)面をつくらないといけない(ということですが)、でもその面をつくるというのは、ウサギにもものすごくたくさんいるし、歩くという動作にしても、歩く事例はものすごくたくさんありますよね。その中で、ほんのいくつかの事例で「歩くとはこうだ」と決めつけてしまうのは、ある種の思考の跳躍というも...