●「敵の敵は友」と言いきれない中東の複雑性
皆さん、こんにちは。本日は、21世紀の中東をどう捉えたらいいのか、あるいは、中東でいま起きている大きな権力の移動、ひいては、どう捉えるかというパラダイムやパワーのシフトなどについてお話ししてみたいと思います。
よく中東においては、「敵の敵は友」という言葉が使われます。しかし、私は、これは中東情勢や権力関係を著しく単純化しているものだと思います。実際の中東はもう少し複雑であり、私はいつも「敵の敵は友か、さもなくば敵か」と、このように言うべきではないかと思っていました。しかし、最近のIS(イスラム国)をめぐる諸国や諸勢力の相互関係を見ると、これでもまだなかなか中東の複雑さを言い表したことにはなりません。
特に、最近のオバマ大統領とイスラエルのネタニヤフ首相との関係、あるいは、アメリカ政府が進めているイランとの核開発に関わる交渉や、これをめぐるアメリカ・イラン・イスラエルの三国間の関係を見ましても、「敵の敵は友か、さもなくば敵か」と表現しても、まだ単純であるかのように思えてきます。むしろ、その後に私は次のような言葉を付け加えてみたいと思うのです。「さもなくば友にして敵なのか、敵にして友なのか」ということです。すなわち、有名な言葉はこう置き換えられるべきなのではないかと、私は最近よく思うようになりました。「敵の敵は友か、それとも敵か、さもなくば友にして敵なのか」と。恐らく、中東情勢はこのような形ですこぶる混迷と複雑さを増しているかと思われます。
●中東のイデオロギーシフトとソ連崩壊過程の比較
現在起きているのは、前回お話しする機会もあった大きなパワーシフトと、それから、今日お話ししていくことになるイデオロギーレベルのシフトが大きいかと思います。そこで最初に触れるべきことは、中東秩序の古いシステムが崩壊しつつあるということが第一点です。このことを、あえて歴史的に理解しやすく説明するとすれば、1991年のソ連の崩壊と比較することもできるかと思われます。それから、その後の冷戦終結とソ連の解体後に新しく出現した東欧や中欧における大きな政治の構図なども念頭に置くと、よく分かる点もあるかと思います。
例えば、チェコスロバキアがチェコとスロバキアに分離していった平和的な分離モデルもありました。あるいは、ラトビア、エストニア、リトアニアといったバルト三国が、ソ連からも相対的かつ平和的に分離していったというプロセスも存在しました。
●東欧の暴力的解体過程と近似する中東秩序の崩壊
しかし、いま中東で起きているのは、このバルト三国型やチェコスロバキア型の平和な分離や脱統合のプロセスではなく、むしろ暴力的な解体過程であったユーゴスラビアのモデルに近いものがあるのではないかと思います。つまり、ボスニア・ヘルツェゴビナをめぐるクロアチアや、セルビアとボスニア・ヘルツェゴビナのムスリムたちとの三すくみの流血の争いに似たものです。
もう少し目を転じますと、ソ連解体のプロセスで露わになった、ナゴルノ・カラバフ自治州をめぐるアゼルバイジャンとアルメニアとの流血の衝突。そして、この問題は今に至るまで決着がついていないのですが、ナゴルノ・カラバフがかりそめに共和国と宣言し、この宣言を認めているのは、アルメニアだけだという状態。すなわち、アンレコグナイズド・ステイツ(未承認国家)の一つの例として、ナゴルノ・カラバフが存在し、アゼルバイジャンとアルメニアは和解するそぶりもなく、対決し合っているという構図です。また、もう少し劇的な例を挙げるならば、ロシア連邦から離脱しようとして、二回にわたる大きな戦争を経験したチェチェンのケースも挙げられます。
チェチェンのモデルや、アルメニア、アゼルバイジャンによるナゴルノ・カラバフのモデルは、今も中東において暴力やテロ、戦争や内戦を巻き込むことによる新たなシステムの再編と著しく似ているところがあるかと思われます。現に、チェチェンの出身者は「シースターン」、「シースターニー」という名前をしばしば付けているのですが、そのことによって、今ISの中の軍事的なリーダー、武装兵力の指揮官として、チェチェン出身者がたくさん入っているという現実が見てとれます。
こうした点で、今の中東秩序の古いシステムの崩壊過程を、ソ連の解体のプロセスと比較して考えることもできるかと、私は見通しとして思っています。
●複雑化するイスラムの文明内衝突
中東情勢における二つ目のポイントですが、いわゆる冷戦解体後に生まれた幾つかのテーゼの中で、文明の衝突、あるいは、文明間衝突というサミュエル・ハンチントンのテーゼがありました。ハンチントン教授は、特に西欧対イスラムの衝突が今後深刻...