●パリのシンポジウム開催の経緯
フランスにあるフランス国際関係研究所(IFRI)では、日本の外務省が後援して、日欧の相互理解促進のためのアクティビティをこの数年続けてきています。その中で、最近フランスを中心にヨーロッパのintellectualな皆さんがアベノミクスに大変強い興味を持っており、アベノミクスとは何なのかということを、ぜひ日本の専門家にしっかり説明してもらいたい。皆で議論して理解ができれば、一段と相互理解が進み、お互いに役に立つこともあるのではないか。このような趣旨で、パリでシンポジウムが開催されることになったそうなのです。
私はそのようなことが進んでいるとは知らなかったのですが、ある日、外務省から「こういうことだから、シンポジウムに行ってくれないか」と連絡がありまして、大変興味はあったのですが、予定を見たらびっしり詰まっていたのです。そこで、秘書がアポイントを調整して2日半ほど空けてくれて、結局行くことになりました。フランスの研究所も外務省も非常に喜んで、「ぜひやってくれ」と言ってくれました。
パリにはたった1泊しかできず、しかも往復とも12時間ずつの飛行機でしたから少々ハードな旅でした。現地に着いたらすぐに外務省の人が迎えに来てくれて、その足で会議場に入り、すぐ会議が始まったのです。
●ヨーロッパで高まるアベノミクスへの関心
「アベノミクスの三つの矢のうち、第一の矢と第二の矢はフランスの人は割合よく知っている。けれども、第三の矢がどうなっているかちっとも分からないので、そこを中心に話してくれ」と司会者から言われ、「はい、分かりました」と答えました。ですが、「そうは言っても、第一の矢、第二の矢がどういうことになっているのかも言わないと、第三の矢の意味が分からないので、簡単にブリーフィングしますよ」ということで始まりました。
そもそも、なぜヨーロッパの人たちがここにきてアベノミクスに非常に興味を持っているのか、ということが、実は私にとっての興味だったのです。皆さん、本当にかなり強い興味を持っていて、かなり一生懸命、記事も読んでいます。日本でも『フィナンシャル・タイムズ(FT)』を読まれる方がいらっしゃるかと思いますが、3年前には想像もつかなかったほど、FTはいま日本の経済分析、報道をしていますし、時々大きな記事も出ています。
●日本経済は世界の注目の的から下り坂へ
これは、45年以上前の日本に関する世界における報道の仕方に似ていると思います。45年以上前に何が起きたかというと、1970年代、日本は高度成長期の後半でした。日本のものすごい高度成長を世界中が認識した時に、このまま放っておくと日本は世界のトップになるのではないか、という問題意識で書かれた本がありました。例のハーバード大学のエズラ・ヴォーゲル教授の『Japan as Number One』という本です。
日本人の多くの人は英語がよく分からなかったので、「日本が世界一だ」と理解したようですけれど、そうではなくて、あれは“Japan as Number One”とあるように、仮定法なのです。「もし日本が一番になったらアメリカ人はどうするのか?」という警告の本です。とにかく日本が破竹の勢いだ、ということが書いてある。なぜそのようなことができたのか。戦後、日本は焼け野原になり、海外の利権を全部失い、310万人もの人が犠牲となり、普通なら国が終わってしまうのですが、それから25年後にアメリカに次ぐ経済大国を成し遂げた。本当に奇跡のようなことをやっている。これは、世界の七不思議の一つだったのです。そういうことについて、ヴォーゲル先生が非常に詳しい分析をしたのが今から45年前なのですが、それ以降、日本は世界の関心を段々と浴びなくなりました。
●対日はバッシング、パッシング、ナッシング
最初は日本の国力が非常に伸びていたものですから、「日本はけしからん、土砂降り輸出するのはけしからん」という議論が起きて、「ジャパンバッシング」という時代がありました。「バッシング」とは、「ひっぱたく」という意味ですから、「日本をやっつけろ」ということです。
その次に、1980年代、90年代に入ると中国が非常に成長してきました。多くの人々が成田空港に来るのですが、タッチアンドゴーで中国に行ってしまう。これを何と言うかというと、「ジャパンパッシング」だそうです。
90年代から日本は「失われた20年」ということで、デフレに沈んでしまいました。見るところ、どこにもいいところがない状態です。世界の諸国は、アメリカでも平均して3.5パーセントくらいで成長しましたし、いわゆる新興国は中国の11~14パーセントを筆頭に、インドが7~8パーセントとい...