●東洋思想が最後尾から先頭へと逆転した10年間
東洋思想の意味合いがここへ来て非常に変わりつつあります。特にこの10年ほどで、どんどん変わってきたように思います。
比喩的に言えば、思想家が、皆でマラソンを走っていたとします。先端的なものをやっている方がずっと先を走っていく中、古臭い東洋思想をやっている私はのろのろと一番最後についていました。ところがこの10年で、「ひょっとして、ゴールはそちらではなく、反対側だよ」と言われたような気がして、その瞬間、「もしかすると自分が一番先を走っているのか」と感じたことがありました。
そう感じたのは、ここ10年間に西洋からの問い合わせが非常に多くなってきたからです。西洋には私の親しい学者が何人かいます。彼らの紹介や弟子だという人から、次々にメールが来るのですが、その内容は判で押したように同じです。
「これについて、東洋思想はどう考えますか?」
「東洋思想で考えると、どういう答えが出ますか?」
「東洋思想に、こういうものへの解決策はありますか?」
「これほど矛盾に満ちた状態を、東洋思想はどう扱うのですか?」
そういうことを、どんどん聞いてきます。
●21世紀の指針は、東洋と西洋の知の融合にあるのではないか
私の親友である西洋の学者たちから言わせると、それはひとえに西洋近代思想がある役割を終えて、今ちょっとした行き詰まりを迎えているからだということです。西洋近代思想をこのまま推し進めていったところで、目を見張るような成果が出てくるかどうか、ほとんどの西洋人が疑問を感じ始めているというのです。
そして、よく考えてみたところ、地球にはもう半球があることに気がついたのです。東洋という半球は一体どういう考えをするのだろうかと、皆知りたくなっているのです。自分の周りでも、東洋、あるいは、東洋思想に対する関心は、今や非常に強くなっていると、友人たちは言います。
そういう意味で、21世紀の指針は、東洋と西洋の知が融合されることにあるのではないか。東洋思想のいいところと西洋思想のいいところをそれぞれが提供し合い、融合して、第三の新しい指針をつくるべき時に来ているのではないかと、私は日々痛感することが多くなってきました。
●佐久間象山の「東洋道徳、西洋芸」を現代の企業に生かす
幕末の碩学の一人に佐久間象山という人がいます。彼は当時すでにこのことを見通していて、「東洋道徳、西洋芸」と言いました。
東洋思想は、やはり根幹的な原理原則で、道徳という意味では長けていますが、欠点もまた多いのです。その欠点を補って余りあるのが「西洋の芸」だというのです。「芸」とは「アルス(アートの語源)」、すなわち、技術です。西洋の技術は非常に優れています。それは、物事を普遍的にする力であり、今時の言葉では「モジュール化」する能力に長けているということです。
したがって、東洋からは原理原則を提供し、普遍的に人類がこぞって理解できるような広々としたものにしていくのは西洋に任せた方がいい。そうやって西洋と東洋が融合し、新しい人類の指針を出していく時ではないかということです。
こういうこと自体は言われ出して久しいのですが、人類の指針と言われるとやや荷が重い。そこで、私はこれを何とか身近なところで、企業や企業経営論として考えてみてはどうかと思いました。つまり企業経営論として、企業経営の原理原則を東洋から出し、普遍的技術やモジュール化といった普遍性の部分を西洋の経営思想から取り入れる。そういう形で双方から取り入れてはどうだろうかと思ったのです。
●東洋と西洋に精通する国の中で、最先端をいっているのは日本ではないか
そのような思いがあり、10年ぐらい前に『タオ・マネジメント』という著作を発表し、すぐさま英文にしてアメリカで出版しました。
当座は、ごく限られた方からしか反応がありませんでした。しかし、アメリカの出版社は、役割、あるいは、義務として、自社の出版物を全米の図書館に配布することになっているそうです。私が「老荘思想的経営論」「生命論的企業観」「生命論としての企業」を初めて説いたこの著書も、全国に配っていただきました。
そうすると、リーマンショック以降、にわかに皆さんにこの本を手に取っていただく機会が増え、いろいろなお問い合わせを頂くようになってきました。
やはり東洋と西洋の知の融合は重要なのだと思った次第です。またそこから、一体地球上に東洋にも西洋にも精通している国や地域はどのぐらいあるのかと考えると、これがないのですね。しかし、なんとその中で最先端を行っているのは日本ではないかと思ったのです。
●真理が外側にあって見える西洋、内側にあって気づく東洋
われわれ...