テンミニッツTV|有識者による1話10分のオンライン講義
ログイン 会員登録 テンミニッツTVとは
テンミニッツTVは、有識者の生の声を10分間で伝える新しい教養動画メディアです。
すでにご登録済みの方は
このエントリーをはてなブックマークに追加

美しさや気高さは過ちを犯した人でなければ出てこない

リーダーのための感性哲学「煩悩を生きる」

行徳哲男
日本BE研究所 所長
情報・テキスト
弥勒菩薩半跏思惟像(広隆寺)
Wikimedia Commons
われわれは「なぜ?」を問い過ぎる、と日本BE研究所所長・行徳哲男氏は言う。「なぜは要らない。ただ目の前の煩悩を食らうべし」と喝破する行徳氏の真意は「感性=紛れもない私」を取り戻すことにある。氏の目を通した弥勒菩薩、親鸞、田中角栄、キルケゴール、そしてナポレオンと内蔵助のリーダー比較論は、感性の弱り切った現代人へのカンフル剤である。
時間:12:29
収録日:2014/12/26
追加日:2015/07/30
≪全文≫

●若者よ、弥勒菩薩の美しさに触れてこい


―― 先生はよく「京都に行ったら、広隆寺で弥勒菩薩を見てこい。あの美しさは、罪を犯したものでないと分からん」と言われていますね。

行徳 広隆寺の仏像は、本当にきれいです。いいですよ。何とも言えないですね。

―― 先生に言われてから、弥勒菩薩を見に広隆寺へ行くようになりましたが、やはりすごいですね。

行徳 そうですか。大仏とは全く違う、等身大の魅力があります。私は弥勒菩薩には本当に救われます。ですから今、若者たちにも何かあったら「弥勒菩薩の所へ行ってこい」と言っています。

―― 弥勒菩薩を発見して、そのことを最初に言ったのは外国人でしたね。ブルーノ・タウトでしたか?

行徳 それは、ドイツのカール・ヤスパースです。

―― カール・ヤスパースでしたか。やはり一流の人が見ると分かるということですね。

行徳 しかも、この像は作者不明ですから、誰が彫ったか分からないのです。

―― なるほど。先生はこの像を初めて見た時、ヤスパースのように思われたのですね。

行徳 そうですね。ヤスパースは、このようなことを言っています。「自分は30年間、世界中の美術品や彫刻を見て回ったけれど、この菩薩に勝る美しさと気高さを持った像はどこにもなかった。人間が達しうる最高の気高さと最高の美しさを持った像が、この弥勒菩薩だ」と。


●親鸞と田中角栄に通じる「悪の研究」


行徳 しかし、「この美しさや気高さは、過ちや罪を犯した人間でなければ出てこない」とも言っています。悪の研究をしないと、善は決して分からないですからね。

―― やはり対象物のところにまで行かないと、見えないものがあるのでしょうね。人間としての体験量が少ないと分からない。

行徳 見えないのです。親鸞の言葉にも「悪人なおもて往生す」とあります。善人が救われるのであれば、悪人こそ救われていいということです。

―― 「悪人正機説」ですね。やはり悪の研究をして、そこが見えない間は、いいことや役に立つことはできないのですね。

行徳 悪の研究は大事です。その点では、やはり田中角栄さんあたりが、いい意味でも悪い意味でも、日本の真の宰相といえる最後の人物だったでしょうね。田中さんを見ていると、紛れもなく「私を生きた」人だと分かります。良かろうが良くなかろうが、です。

―― 良かろうが良くなかろうが、ですか。

行徳 はい。良いか悪いかで見るのは理性の罪です。理性が犯した最大の罪の一つは、何でも正しいか間違いかでしか物事が見られなくなったことです。正しいか間違いかで律せられるほど、人間は底が浅くありません。もっと深みがあったり、思いやりや優しさがあったり、それから憎しみや敵意があったりする。それを、良いか悪いかで律すること自体がおかしい。人間にしても現象にしても、正しいか間違いかで見ていると、まず見誤りますね。

―― 良いか悪いかだけでは、見えないですね。その程度で動いていたら、楽ですよね。


●煩悩を生きるべし。美化が危機を生む


行徳 私には、白隠禅師が言ったことで好きな言葉があります。「良きも悪しきも皆打ち捨てて、生地の白地で月日を送れ。 触りゃ濁るぞ谷川の水」という言葉です。現代人は触り過ぎて、濁らせ過ぎていますね。

 この言葉は「問うな学ぶな手出しをするな」と続きますが、われわれは「なぜ? なぜ? なぜ?」と、WHYを問い過ぎるのです。

 WHYカルチャーという「なぜ?」の文化を発達させ過ぎることで国力が弱り、亡国に至ったのがローマであり、ギリシャです。

 なぜとかそんなことではないのです。現象の背後に何があるのかを詮索し過ぎたり、追跡し過ぎたりするよりは、そのまま食べてしまえばいいのです。ですから、人間は煩悩を生きることですね。

―― 煩悩を生きることですか。

行徳 煩悩以上の「万歳」はないです。煩悩には栄養がいっぱい詰まっていますから、食べてもうまいし、滋養分があります。例えば、男なら女性問題でのトラブルなどあって当たり前でしょう。それを皆、美化して飾り立て、隠蔽や歪曲をするものだから、自分が自分からだんだん遠のいているのです。

―― 自分から遠のくということは、田中角栄さんのように私を生きていないということですね。

行徳 そうです。現代の人類を襲っている最大の危機は、資源でもなければ人種問題でもないと思います。自分が自分に帰属できないアイデンティティー・クライシスですよ。これ以上の不幸はないです。


●キュルケゴールと大衆の関係から政治を学ぶ


―― 先生からお聞きしたセーレン・キュルケゴールの「野鴨」のお話ですね。

行徳 あれは典型ですね。私はあの哲学者の生きざまに、大変に惹かれました。

―― 教会の前で改革運動を一人で進める...
テキスト全文を読む
(1カ月無料で登録)
会員登録すると資料をご覧いただくことができます。