社会人向け教養サービス 『テンミニッツ・アカデミー』 が、巷の様々な豆知識や真実を無料でお届けしているコラムコーナーです。
「おせんべい」と「おかき」の違いとは?
お茶請けに欠かせない米菓といえば「おせんべい」と「おかき」。このふたつの違いは何か、考えたことはあるでしょうか? 今回は「おせんべい」と「おかき」の違いや、米菓の歴史について解説します。
供えた後のもちを槌(ハンマー)で欠き割り、火で調理したものが米菓のはじまりだといわれています。欠き割ったもち、すなわち「欠きもち」を「おかき」と呼ぶようになったのです。
「おかき」と「あられ」の違いですが、もちを火で焼いたものが「おかき(かきもち)」、炒ったものが「あられ」の起源といわれています。ただ現在ではシンプルに大きな形のものを「おかき」、小さな粒型のものを「あられ」と呼び分けることが一般的。大きさの違いに明確な線引きはないようです。
「あられ」という名は、煎る時に音を立てて跳ねあがるようすが、空から降ってくる「霰」の形に似ていることに由来するといいます。奈良時代では、客人をもてなすための高級菓子として利用されました。また「あられ」とは主に関東圏の呼称で、関西では「あられ」も「おかき」と呼びます。
うるち米を使った、しょっぱいせんべいが作られはじめたのは1600年ごろ。もともとは農家が保存食として、くず米を蒸して丸め、天日干ししたものを塩で味付けし焼いただけの簡素なものだったため、この「塩せんべい」は小麦粉の甘いせんべいと比べると、下級品としての扱いでした。
しかし五街道の開通とともに各地に宿場町ができて、茶店や土産物屋が軒を連ねるようになると、せんべいが土産物として登場します。草加宿で茶店を開いていたお仙(せん)という名のおばあさんが、売れ残った団子をつぶして焼いて出したことが始まりだとか。
時代が下るにつれてせんべい用の器具も改良されてゆき、1645年以降の幕末期になって初めて味付けに醤油が使われ始めます。各地で名物せんべいが作られ、明治、大正時代には庶民の味として広く親しまれるようになるのです。
また、関西では関東に比べると、「おせんべい」よりも「おかき」の消費量が多いようです。これは「おかき」の原料のもち米の産地に近かったことや、神さまへの供物に捧げてきた文化として、寺社の多い関西圏で定着したからとも考えられています。
「おせんべい」と「おかき」。どちらもお米を原料とするものですが、関東関西でのそれぞれの環境の違いから、独自の発展を遂げてきたのです。
一番大きな違いは原料
「おせんべい」と「おかき」で、最も異なるのが原料です。「おせんべい」は私たちが普段主食としている、うるち米からできています。いっぽう、「おかき」の原料はもち米です。「おかき」は別名「かきもち」とも言いますので、そこから連想すると覚えやすいでしょう。供えもちを欠き割った「おかき」
古くから神さまに五穀豊穣を祈ってきた日本人は、お米がとれるとその感謝のしるしとして神さまにお米をお供えしました。特にうるち米よりも日持ちのするもち米は、お供え物にぴったり。お正月や節句のお祝いにもちを飾るのも、その風習のなごりです。供えた後のもちを槌(ハンマー)で欠き割り、火で調理したものが米菓のはじまりだといわれています。欠き割ったもち、すなわち「欠きもち」を「おかき」と呼ぶようになったのです。
「おかき」と「あられ」の違いですが、もちを火で焼いたものが「おかき(かきもち)」、炒ったものが「あられ」の起源といわれています。ただ現在ではシンプルに大きな形のものを「おかき」、小さな粒型のものを「あられ」と呼び分けることが一般的。大きさの違いに明確な線引きはないようです。
「あられ」という名は、煎る時に音を立てて跳ねあがるようすが、空から降ってくる「霰」の形に似ていることに由来するといいます。奈良時代では、客人をもてなすための高級菓子として利用されました。また「あられ」とは主に関東圏の呼称で、関西では「あられ」も「おかき」と呼びます。
もとは小麦粉で作られていた「おせんべい」
いっぽう、「おせんべい」の起源には諸説あり、一説には煎餅(ジェンビン、チョウピン)というお菓子を、唐(中国)に渡った弘法大師・空海が気に入って持ち帰ったのが始まりだといいますが、はっきりしていません。ただ中国で餅といえば、お米ではなく小麦粉を練って薄く焼いた食べ物で、今のお好み焼きやクレープ生地に近いもの。また、当時の日本人はこの「煎餅」を「いりもち」と読み、小麦粉を練って油で煎った菓子にこの「煎餅」の名を当てたと考えられています。つまり当時のせんべい(煎餅)は、油で揚げた小麦粉のお菓子でした。うるち米を使った、しょっぱいせんべいが作られはじめたのは1600年ごろ。もともとは農家が保存食として、くず米を蒸して丸め、天日干ししたものを塩で味付けし焼いただけの簡素なものだったため、この「塩せんべい」は小麦粉の甘いせんべいと比べると、下級品としての扱いでした。
しかし五街道の開通とともに各地に宿場町ができて、茶店や土産物屋が軒を連ねるようになると、せんべいが土産物として登場します。草加宿で茶店を開いていたお仙(せん)という名のおばあさんが、売れ残った団子をつぶして焼いて出したことが始まりだとか。
時代が下るにつれてせんべい用の器具も改良されてゆき、1645年以降の幕末期になって初めて味付けに醤油が使われ始めます。各地で名物せんべいが作られ、明治、大正時代には庶民の味として広く親しまれるようになるのです。
東西で違う「おせんべい」
うるち米で作った塩や醤油味のせんべいが登場するまで、「おせんべい」は小麦粉に砂糖を入れて練って焼いた甘めのものが一般的で、主に上流階級の食べ物でした。これが現在の「瓦せんべい」のルーツで、今も関西で「おせんべい」といえば、多くの人が小麦粉でつくった甘いせんべいを指します。いっぽうで、関東のうるち米せんべいを「おかき」と呼び慣わしています。また、関西では関東に比べると、「おせんべい」よりも「おかき」の消費量が多いようです。これは「おかき」の原料のもち米の産地に近かったことや、神さまへの供物に捧げてきた文化として、寺社の多い関西圏で定着したからとも考えられています。
「おせんべい」と「おかき」。どちらもお米を原料とするものですが、関東関西でのそれぞれの環境の違いから、独自の発展を遂げてきたのです。
~最後までコラムを読んでくれた方へ~
“社会人学習”できていますか? 『テンミニッツTV』 なら手軽に始められます。
明日すぐには使えないかもしれないけど、10年後も役に立つ“大人の教養”を 5,500本以上。
『テンミニッツ・アカデミー』 で人気の教養講義をご紹介します。
ヒトは共同保育の動物――生物学からみた子育ての基礎知識
ヒトは共同保育~生物学から考える子育て(1)動物の配偶と子育てシステム
「ヒトは共同保育の動物だ」――核家族化が進み、子育ては両親あるいは母親が行うものだという認識が広がった現代社会で長谷川氏が提言するのは、ヒトという動物本来の子育て方法である「共同保育」について生物学的見地から見直...
収録日:2025/03/17
追加日:2025/08/31
日本の弾道ミサイル開発禁止!?米ソとは異なる宇宙開拓の道
未来を知るための宇宙開発の歴史(7)米ソとは異なる日本の宇宙開発
日本は第二次大戦後に軍事飛行等の技術開発が止められていたため、宇宙開発において米ソとは全く違う道を歩むことになる。日本の宇宙開発はどのように技術を培い、発展していったのか。その独自の宇宙開拓の過程を解説する。(...
収録日:2024/11/14
追加日:2025/09/02
天平期の天然痘で国民の3割が死亡?…大仏と崩れる律令制
「集権と分権」から考える日本の核心(3)中央集権と六国史の時代の終焉
現代流にいうと地政学的な危機感が日本を中央集権国家にしたわけだが、疫学的な危機によって、それは早い終焉を迎えた。一説によると、天平期の天然痘大流行で3割もの人口が減少したことも影響している。防人も班田収授も成り行...
収録日:2025/06/14
追加日:2025/09/01
世界は数学と音楽でできている…歴史が物語る密接な関係
数学と音楽の不思議な関係(1)だれもがみんな数学者で音楽家
数学も音楽も生きていることそのもの。そこに正解はなく、だれもがみんな数学者で音楽家である。これが中島さち子氏の持論だが、この考え方には古代ギリシア以来、西洋で発達したリベラルアーツが投影されている。この信念に基...
収録日:2025/04/16
追加日:2025/08/28
自由な多民族をモンゴルに統一したチンギス・ハーンの魅力
モンゴル帝国の世界史(2)チンギス・ハーンのカリスマ性
なぜモンゴルがあれほど大きな帝国を築くことができたのか。小さな部族出身のチンギス・ハーンは遊牧民の部族長たちに推されて、1206年にモンゴル帝国を建国する。その理由としていえるのは、チンギス・ハーンの圧倒的なカリス...
収録日:2022/10/05
追加日:2023/01/07