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DATE/ 2021.01.14

発売100年を超える「超ロングセラー商品」とは

100年以上の時を超えて愛される商品

 普段なにげなく広告やCM、身近なお店などで見かけて、名前もよく知っている定番のロングセラー商品。実はそのなかには、発売から100年以上経っている商品もあります。そして、それほどの時を超えて売れ続けている商品には、歴史を動かした人物や出来事と関わっているものもたくさんあるのです。

 このような“超ロングセラー商品”の物語をのぞいてみましょう。

食料品の超ロングセラー商品

 スーパーやコンビニで毎日のように見かけるあの食料品も、超ロングセラー商品なのです。

 木村屋のあんぱん:誕生は1874(明治7)年。家業の農業が水害でうまくいかないため一念発起してパン屋「木村屋」をつくった木村安兵衛が、まんじゅうをヒントに開発しました。発売の翌年、安兵衛は桜の塩漬けを乗せた桜あんぱんを明治天皇に献上して特に皇后から絶賛され、木村屋のあんぱんは皇室御用達になります。このとき、安兵衛と天皇の橋渡しをしたのが、天皇の側近を務める山岡鉄舟でした。鉄舟はもともと江戸幕府の幕臣でしたが、明治維新で幕府が消滅したのちは天皇に仕えていたのです。若き日の安兵衛と剣術仲間だったといわれる鉄舟は、木村屋の看板の揮毫もしています。

 三ツ矢サイダー:誕生は1884(明治17)年。日本国内に逗留する海外の要人が良質の水を求めたため、明治政府が調査を実施。イギリス人化学者のウィリアム・ガウランドが「理想的な鉱泉」と評価した平野温泉の水を「平野水」と名づけて販売したことがはじまりです。このときから使用されていた「三ツ矢」のマークは、平安時代の武士・源満仲が放ったとされる矢に由来します。満仲が城を築く土地を決めるために矢を放つと、平野温泉がある多田沼に棲みついて付近の人々を困らせている龍に命中しました。満仲はこの矢を発見した孫八郎に「三ツ矢」という姓と三本の矢の家紋を与えたのです。

 味の素:誕生は1909(明治41)年。化学薬品会社を経営する2代鈴木三郎助(父親も同じ名前なのでこう呼ばれます)が、独立事業の鈴木商店で販売開始しました。「味の素」の名づけ親は三郎助で、開発したのは化学者の池田菊苗です。菊苗は人間が感じる4つの基本的な味、酸味・甘味・塩味・苦味とは別の味があると考えて研究をしていました。そして昆布の煮汁からグルタミン酸の抽出に成功し、「うま味」と名づけて調味料にしたのです。初期の味の素は三郎助と取引のある薬種問屋を通していたため、薬瓶に入っていました。うま味は日本が誇る大発見で、海外でも「UMAMI」で意味が通じます。

薬品の超ロングセラー商品

 薬品には秘伝の製造方法を受け継いでいる超ロングセラー商品がいろいろあります。

 薬用養命酒:誕生は1602(慶長7)年。関ヶ原の戦いの2年後で、江戸時代のごく初期です。信濃(現在の長野県の一部)の塩沢家当主・塩沢宗閑翁が創製したと伝わります。宗閑翁が雪の中で生き倒れていた老人を救出し、その老人が去り際に「この土地は薬草が多く手に入るし、気候や風土も酒造に向いている」と言って養命酒のつくり方を教えてくれたのだとか。塩沢家に伝わる古文書には、1813(文化10)年に尾張藩主から養命酒の製法や内容を尋ねられたことが記されています。お殿様たちにも興味を持たれていたのですね。この古文書によると、養命酒は完成までに2300日もかかるそうです。

 宇津救命丸:誕生は17世紀前半(元和年間)ごろ。創製した宇津権右衛門は、もともと下野(現在の栃木県)の大名・宇都宮家に仕えるお殿様専属の医師でした。しかし宇都宮家が時の天下人・豊臣秀吉の不興を買って所領を失ってしまったため、農村に移り住んで農業と医師を兼業するようになったのです。救命丸はこのころに、村人の健康維持のためにつくられたようです。今では子どもの薬として知られる救命丸ですが、はじめは大人も使用していました。江戸時代には江戸幕府将軍徳川家の分家筋である一橋家の御用達となり、毎年救命丸を献上して名声と信頼を高めていったのです。

 正露丸:誕生は1902(明治35)年。中島佐一薬房を営む薬商人の中島佐一が、木(もく)クレオソートを有効成分とする丸薬を開発したことがはじまりです。木クレオソートには殺菌作用があり、消化機能の改善向上に役立つことがわかっています。正露丸のはじめの名前は「忠勇征露丸」といい、「ロシアを征する」という意味が含まれていました。これは、日露戦争に出征した兵士たちの軍薬として導入されたためです。衛生状態が劣悪な戦場では下痢や腹痛に苦しむ兵士が多く、それを救ったのが“征”露丸でした。戦後、国際情勢にふさわしくないとして、現在の“正”露丸に名を改めました。

 どの商品も長い歴史を持つだけあって、壮大な物語を秘めていますね。そして、誕生から現在まで変わらないこだわりで守り続けられていることも、長続きの秘訣なのでしょう。

<参考サイト>
あんぱんなら木村屋總本店 木村屋のあゆみ
https://www.kimuraya-sohonten.co.jp/ayumi
アサヒ飲料 三ツ矢豆知識
https://www.asahiinryo.co.jp/mitsuya-cider/sp/academy/
味の素グループ うま味発見から商品化への軌跡ー池田菊苗物語
https://www.ajinomoto.co.jp/company/jp/features/fact/008.html
養命酒製造株式会社 養命酒の発祥と400年の歴史
https://www.yomeishu.co.jp/sp/health/beginning/
宇津救命丸株式会社 宇津救命丸の歴史
https://www.uzukyumeigan.co.jp/history/
大幸薬品株式会社 製品ヒストリー
https://www.seirogan.co.jp/products/seirogan/various/history.html

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一般社団法人 次世代基盤政策研究所(NFI)所長・代表理事