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DATE/ 2021.05.14

日本資本主義の父・渋沢栄一ってどんな人?

 長らく親しんできた一万円札の顔・福沢諭吉が、2024年度に渋沢栄一に変わります。NHK大河ドラマ「青天を衝け」もスタートし、渋沢栄一の注目度はかなり上がっているようです。しかし、渋沢栄一は「何をした人?」「いったいどんな人?」と聞かれると、『論語と算盤』の著者、「日本資本主義の父」くらいは知っていても、それ以上のことはあまりよく知らないという人が結構いるのではないでしょうか。

 今回は、知っているようで知らない渋沢栄一の人となりについて、作家・童門冬二氏に伺います。

生涯持ち続けた肩書きは「養育院院長」

 渋沢は生涯で、500近い企業の設立に関わったといわれています。持ち歩く名刺は相当な数にのぼったでしょうし、なかには途中でつぶれてしまった会社も結構あったようですから、肩書きもしょっちゅう変わっていたそうです。

 しかし、渋沢が生涯変わらず持ち続けた肩書きがあります。それは「養育院院長」。実は徳川の時代、身寄りのない年寄りを江戸の町医者が自前で引き取って看病する施設に「小石川養生所」がありました。この施設は、幕府の金では足りないときのために「不足前(たらずまえ)」という、いわば積立てを江戸市民がして維持していたのです。

 その積立金が明治になってもかなり残っていたため、市民のお金を市民のための助成金として使おうということで、まず委員会が発足。渋沢はその委員長となり、養育院の充実、拡充に尽力しました。そして、自ら望んでこの養育院の初代院長となり、昭和6年、数え91歳で亡くなるまでその任に就いていました。その間、この肩書きは渋沢の名刺から外されることはなかったのだそうです。

 渋沢は、身よりのない年寄りの面倒をみる養育院と同時に孤児院もつくっています。童門氏は、人のため、人を救済する仕事を通して、渋沢はお金の清い使い方をしようとしたのだろうと推察します。

常に口にしていた「論語と算盤を一致させる」

 さて「日本資本主義の父」といわれる渋沢ですが、その思想の根本には合理精神や実利主義とは異なるヒューマニズムがありました。大河ドラマ「青天を衝け」のなかで、若き日の渋沢が家業の藍玉製造に必要な藍の買い付けに農家に出向いた際、品質を厳しくチェックし、ダメ出しをしながらも「これだけあれば、肥料を調達して来年はもっといい藍を育てることができるだろう」と農民の事情にも配慮して、そこそこいい値段で買ってやるという印象的なシーンがありました。

 この渋沢ならではのヒューマニズムは、著書『論語と算盤』からもうかがい知ることができます。渋沢は、大政奉還の直前に遣欧使節団の事務長として、パリに渡っています。万国博覧会を視察するかたわら、株式、銀行、融資といった資本主義の要の部分を大いに学び帰国。そして、日本政府が認める民間銀行第一号を設立します。

 日本橋に二階屋を設けて銀行設置をした際に、彼が行員に対して徹底したのが「『論語』と算盤を一致させる」ということでした。「銀行はただ算盤勘定をしているだけでは人の道を外してしまうかもしれない。人の道を守るためには孔子の『論語』を読むこと。真面目に働きながらも本当に困っている人にお金を貸す、という銀行の本来の仕事をするためにも、『論語』を常にそばに置き、暇があったらいつでもひも解くようにしてほしい」と、行員に強く説いたそうです。渋沢は「和魂洋芸」、すなわち日本人の精神を失わずに、西洋の優れた技術や知識を活用するのが日本の取るべき道である、と考えていましたが、根本の部分では「洋芸」よりも「和魂」をより大切にしていたヒューマニストだったのです。

 こうした事実を知ると、渋沢の肖像が入った一万円札の重み、ありがたみが増してくるのではないでしょうか。新札発行の2024年が待ち遠しいですが、それを待たずとも、人の道に外れないお金の使い方を心していきたいものです。自分のためだけでなく、人のため、世の中のために。

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