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『音が描く日常風景』が伝える「新しい自己」のはじまり
普段、「私たち」は主に視覚情報をたよりにして日常生活を送っています。ここであえて「私たち」と括弧書きにしたのにはわけがあります。それは、この「私たち」には万人が当てはまるわけではないからです。「私たち」には、ある前提が潜んでいます。その前提とは、「目が見える」ということです。
当たり前のことですが、「目が見えない」としたら、視覚情報をたよりに生活することはできません。では、何をたよりにするのかといえば、それは「聴覚」です。目が見えなくても、「聴く」という技術が日常を支えている人々も世の中にはたくさんいます。そこに広がっているのは「音が描く日常風景」ではないでしょうか。
「音が描く日常風景」とはどんな世界なのか。それを知ることは、目の見えない人の感覚世界を知ることにとどまらず、「音」というものが日常生活において何をもたらしているのかを知ることでもあります。
今回は、まさにそのことを記した書籍『音が描く日常風景:振動知覚的自己がもたらすもの』(伊藤精英著、佐々木正人編、國吉康夫編、金子書房)をもとにして、未知なる音の世界をご案内します。
伊藤氏はもともと「一メートル離れた人の顔がわかるくらい」の視力を有していたのですが、ある出来事をきっかけに失明したそうです。この失明体験がその後の心理学研究、そして「周囲の環境によってどのように環境を知覚できるのか」「環境の知覚における聴覚と振動知覚の関係」「そもそも自己とは何か」といった現在の研究テーマにつながっていると記しています。
失明するということは「光を失う」ということです。光を失うとどうなるのか。全盲者は暗黒の世界を知覚しているのか。伊藤氏は次のように答えています。「いや、暗黒の世界を『見て』いるのか? それはない。その理由は光を感受しない以上は暗さも感受しないからである」
伊藤氏の体験では失明後、一年から一年半が過ぎると「新しい自己」がはじまると書いています。それまでの「視覚的自己」が崩壊し、それに代わって「聴覚的自己」が萌芽し、さらに「振動知覚的自己」が覚醒するのだそうです。つまり、それまで頼っていた「視覚」ではなく、「聴覚」「振動知覚」を中心とした自己が確立するというわけです。
伊藤氏の研究によると、目の見えない人は道路の構造に関する知覚情報を巧みに利用しているのだそうです。道路の構造とは、道の形状と、自分の位置を知るためのランドマークです。ランドマークは、言い換えれば「サウンドマーク」です。
例えば、駅構内であれば、改札・券売機・換気口など定位置の対象物が「サウンドマーク」となります。この「サウンドマーク」を特定し、自分の位置情報と結びつけることで目的地を目指すわけです。目の見える、見えないに限らず、ランドマークや「サウンドマーク」を特定できず、変化する情報に気を取られやすい人は道に迷う傾向が高いそうです。
それが近年の研究で「振動知覚的自己」が関与していることが明らかになってきました。つまり、音にかぎらず、空気中を伝播する振動を知覚することによって、人はその場所に関する情報をピックアップすることができるのだそうです。
最近はマスクを装着することが当たり前になりましたが、目の見えない人の中には、マスクの装着によって「周囲がわからなくなる」と口にする人がいるのだそうです。これは、顔面をマスクで覆うことによって「周囲を知覚するための微細な空気振動(空気流動)を捉えられなくなってしまうから」です。
以上のことは、目の見えない人だけが当てはまるわけではありません。たとえ目が見えるとしても、その根底では「振動知覚的自己」というものが実は自己の存在を支えているのです。
ただし、こうしたことは聴力検査の結果としてあらわれるものではありません。「耳がいい」というのは、いわば「生活聴力」ともいうべき技能についてだということです。
世界は「見えるもの」と「見えないもの」の両方で成り立っています。目が見えると、どうしても「見えるもの」に注意が偏りがちになりますが、前述のように、無意識のうちに音や振動といった「見えないもの」もたよりにして私たちは生活しているのです。そして、そうした未知なるもの、その世界の存在に気づかせてくれるのが、ご紹介した書籍『音が描く日常風景:振動知覚的自己がもたらすもの』なのです。
ではここで、目を閉じて耳を澄ましてみてください。どんな音が聞こえますか。どのように聞こえますか。それはあなたにどんな影響をもたらしていますか。そうして、もう一つの世界が広がっていることを感じてみる。ときには「音が描く風景」に浸ってみるのはいかがでしょうか。
当たり前のことですが、「目が見えない」としたら、視覚情報をたよりに生活することはできません。では、何をたよりにするのかといえば、それは「聴覚」です。目が見えなくても、「聴く」という技術が日常を支えている人々も世の中にはたくさんいます。そこに広がっているのは「音が描く日常風景」ではないでしょうか。
「音が描く日常風景」とはどんな世界なのか。それを知ることは、目の見えない人の感覚世界を知ることにとどまらず、「音」というものが日常生活において何をもたらしているのかを知ることでもあります。
今回は、まさにそのことを記した書籍『音が描く日常風景:振動知覚的自己がもたらすもの』(伊藤精英著、佐々木正人編、國吉康夫編、金子書房)をもとにして、未知なる音の世界をご案内します。
「新しい自己」のはじまり――視覚的自己から振動知覚的自己へ
著者の伊藤精英氏は、公立はこだて未来大学システム情報科学部情報アーキテクチャ科教授。専攻は心理学で、専門は聴覚・振動知覚です。「振動知覚」は耳慣れない言葉かもしれませんが、聴覚も元はいえば振動を通して音を感じる知覚です。振動知覚は、聴覚では知覚できない振動もその知覚対象に含みます。伊藤氏はもともと「一メートル離れた人の顔がわかるくらい」の視力を有していたのですが、ある出来事をきっかけに失明したそうです。この失明体験がその後の心理学研究、そして「周囲の環境によってどのように環境を知覚できるのか」「環境の知覚における聴覚と振動知覚の関係」「そもそも自己とは何か」といった現在の研究テーマにつながっていると記しています。
失明するということは「光を失う」ということです。光を失うとどうなるのか。全盲者は暗黒の世界を知覚しているのか。伊藤氏は次のように答えています。「いや、暗黒の世界を『見て』いるのか? それはない。その理由は光を感受しない以上は暗さも感受しないからである」
伊藤氏の体験では失明後、一年から一年半が過ぎると「新しい自己」がはじまると書いています。それまでの「視覚的自己」が崩壊し、それに代わって「聴覚的自己」が萌芽し、さらに「振動知覚的自己」が覚醒するのだそうです。つまり、それまで頼っていた「視覚」ではなく、「聴覚」「振動知覚」を中心とした自己が確立するというわけです。
「サウンドマーク」を特定し、目的地を目指す
「聴覚的自己」「振動知覚的自己」という新たな自己を確立していくということは、すなわち「視覚的自己」として生活していた頃とはまったく異なる新たな日常を生きていくということです。たとえば、街中の歩行です。読者の皆さんは、目の見えない人がどうやって街の中を歩いているのだろうと考えたことはありませんか。伊藤氏の研究によると、目の見えない人は道路の構造に関する知覚情報を巧みに利用しているのだそうです。道路の構造とは、道の形状と、自分の位置を知るためのランドマークです。ランドマークは、言い換えれば「サウンドマーク」です。
例えば、駅構内であれば、改札・券売機・換気口など定位置の対象物が「サウンドマーク」となります。この「サウンドマーク」を特定し、自分の位置情報と結びつけることで目的地を目指すわけです。目の見える、見えないに限らず、ランドマークや「サウンドマーク」を特定できず、変化する情報に気を取られやすい人は道に迷う傾向が高いそうです。
「そこに物がある」と分かるのはなぜか
目の見えない人の中には、音を発しない物でも触れることなく「そこに物がある」とわかる人がいるそうです。「第六感」という言葉もありますが、まるで超能力のようなこの知覚は長らく神秘のベールに包まれていました。それが近年の研究で「振動知覚的自己」が関与していることが明らかになってきました。つまり、音にかぎらず、空気中を伝播する振動を知覚することによって、人はその場所に関する情報をピックアップすることができるのだそうです。
最近はマスクを装着することが当たり前になりましたが、目の見えない人の中には、マスクの装着によって「周囲がわからなくなる」と口にする人がいるのだそうです。これは、顔面をマスクで覆うことによって「周囲を知覚するための微細な空気振動(空気流動)を捉えられなくなってしまうから」です。
以上のことは、目の見えない人だけが当てはまるわけではありません。たとえ目が見えるとしても、その根底では「振動知覚的自己」というものが実は自己の存在を支えているのです。
「目が見えない人は耳がいい」
伊藤氏によると、「目が見えない人は耳がいい」といわれることが多いとのこと。ここまでお伝えした内容を振り返ってみても、たしかに聴覚や振動知覚の感度がとても優れていると感じます。たとえば、「サウンドマーク」の話でも触れましたが、音源の場所を特定する音源定位の技術が優れていることは、すでに研究報告があります。また、目の見えない人は耳が老化しにくい傾向があるのだそうです。ただし、こうしたことは聴力検査の結果としてあらわれるものではありません。「耳がいい」というのは、いわば「生活聴力」ともいうべき技能についてだということです。
「見えるもの」と「見えないもの」
さて、「音が描く日常風景」というものがなんとなくイメージできるようになってきたのではないでしょうか。世界は「見えるもの」と「見えないもの」の両方で成り立っています。目が見えると、どうしても「見えるもの」に注意が偏りがちになりますが、前述のように、無意識のうちに音や振動といった「見えないもの」もたよりにして私たちは生活しているのです。そして、そうした未知なるもの、その世界の存在に気づかせてくれるのが、ご紹介した書籍『音が描く日常風景:振動知覚的自己がもたらすもの』なのです。
ではここで、目を閉じて耳を澄ましてみてください。どんな音が聞こえますか。どのように聞こえますか。それはあなたにどんな影響をもたらしていますか。そうして、もう一つの世界が広がっていることを感じてみる。ときには「音が描く風景」に浸ってみるのはいかがでしょうか。
<参考文献>
『音が描く日常風景:振動知覚的自己がもたらすもの』(伊藤精英著、佐々木正人編、國吉康夫編、金子書房)
https://www.kanekoshobo.co.jp/book/b552680.html
<参考サイト>
公立はこだて未来大学 伊藤精英教授の研究室
https://www.fun.ac.jp/~itokiyo/index.html
『音が描く日常風景:振動知覚的自己がもたらすもの』(伊藤精英著、佐々木正人編、國吉康夫編、金子書房)
https://www.kanekoshobo.co.jp/book/b552680.html
<参考サイト>
公立はこだて未来大学 伊藤精英教授の研究室
https://www.fun.ac.jp/~itokiyo/index.html
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