●車いすテニスが建築から医学への転身を促した理由
谷口 厚木市の七沢にある神奈川県総合リハビリテーションセンターに来ています。今日は研究部の村田知之先生にお話をうかがいたいと思います。先生、よろしくお願いいたします。
村田 よろしくお願いいたします。
谷口 村田先生のキャリアは非常にユニークだと思います。大学では建築学を学ばれる一方で車いすテニスのボランティアを経験され、人に対して非常に関心を持たれた。それで分野を変えられて、医学の修士と博士を取得されたとうかがっています。このようなかたちで異分野を越境するモチベーションや動機は、どういうところにあったのでしょうか。
村田 もともと私は住宅設計に憧れがあり、純粋に建築を学ぼうと建築学科に入りました。ところが建築には、建物や家もありますが、街づくりもあります。そこに住む人のことを知らないと、設計は当然できない。そのように大きなテーマが建築にはあることを、車いすテニスのボランティアを通じて気付かされた経緯があったのです。
私が建築を学んでいた当時は、ちょうどバリアフリーが障害を解消するためのアプローチとして授業の中にも出てきた頃です。また、ユニバーサルデザインとして、障害者や高齢者、または小さいお子さん連れのお母さんなどにも幅広く配慮したデザイン設計が言われました。私はこの2つに非常に興味を持ち、住宅のなかでも「住む人」に対する関心を得たのが、大きなターニングポイントになったと思います。
●道具とルールを工夫すれば、障害は補える
村田 車いすテニスとの出会いは、たまたまテニス部に入っていたため、ボランティアの一環として行ったものです。今はプロとして活躍されている国枝慎吾選手が、まだ世界ランキングに入る前でしたが、選手として走っているその横で、私も走ってボールを拾ったりしていました。
障害者スポーツとは言うものの、その枠を超えた競技として、車いすの存在を感じさせなかったです。私もテニスをやっていたわけですが、私以上にうまい選手がいくらでもいました。選手自体が障害を持っていても、道具がその障害を補う。それからルールも、ツーバウンドまでOKというように、独自のものがある。そのように、道具とルールを工夫することで、私たちと一緒にテニスをすることができる。選手たちを通じて、そういう考え方に気付かされたことが、非常に大きかったです。
もう1つの大きなターニングポイントは、そこで出会った先生がリハビリテーション工学の分野で活躍されていたことです。いま私が所属しているのはリハビリテーション工学研究室というところで、リハビリテーション工学は、障害を有する方が生活する上で出会ういろいろな不具合に対して、工学的なアプローチにより生活を支援していく分野です。住宅を学び、バリアフリーやユニバーサルデザインを学んでいた私は、いろいろな興味がつながった気がして、この分野で勉強していこうと決めました。
さらに、「人」が、私にとっては大きなポイントになりました。「住む人のことを考えよう」となれば、その人のことを知らなければいけない。健常者であるわれわれもそうですが、障害をお持ちの方や高齢者であれば、疾患のことはもちろん、どのように生活するかを知らなければいけない。そのため、医学部ではリハビリの大学院に進んで勉強しました。
●スペシャリストをコーディネートできる人へ
村田 「建築から住む人へ、さらに人の生活へ」というように考えが構築されていったわけです。今は、それらの経験を経て、この病院で、いろいろなものの開発や人の支援に携わっています。
今はどの分野もそうだと思うのですが、スペシャリストが非常に求められる一方で、スペシャリスト同士の連携が非常に難しくなっている気がしています。われわれの世界でいうと、リハビリのスペシャリストや道具のスペシャリストなど、多彩なスペシャリストがいるなかで、そこをコーディネートするジェネラリストがやはり必要だと思います。
私はスペシャリストでもありたい一方、どちらかというと、いろいろな人と動くなか、それぞれの分野を知り、コーディネートできる立場として、いろいろ進めていきたいと思っています。というのは結局、自分一人では何もできないからです。何かあったときに、この分野はこの人に聞く、もしくはこの分野の先生にお願いするというようにパスを出せたり、彼らのアシスタントをしてチームをまとめることができれば、どの分野でも役立つのではないかと思っています。
ましてや、リハビリというテーマのなかでいうと、昨今は病院から地域での生活が重視される流れがあります。そのなかで求められるのは、医療と地域の連携です。そこには行政もいれば、地域のヘルパーさんもいて、ご家...