生活支援ロボットと人の共生
建築学から医学、リハビリテーション工学へ
生活支援ロボットと人の共生(1)越境する人材
科学と技術
村田知之(神奈川県総合リハビリテーションセンター 研究部リハビリテーション工学研究室研究員)
神奈川県で「さがみロボット産業特区」の試みが進んでいる。厚木市の神奈川県総合リハビリテーションセンターは、生活支援ロボットの実証実験場として最も多くのロボットが集まる施設だ。同研究部の村田知之氏に、慶應義塾大学商学部教授の谷口和弘氏がさまざまな角度からインタビューを行う。(全9話中第1話)
時間:9分09秒
収録日:2018年12月6日
追加日:2019年7月16日
収録日:2018年12月6日
追加日:2019年7月16日
≪全文≫
●車いすテニスが建築から医学への転身を促した理由
谷口 厚木市の七沢にある神奈川県総合リハビリテーションセンターに来ています。今日は研究部の村田知之先生にお話をうかがいたいと思います。先生、よろしくお願いいたします。
村田 よろしくお願いいたします。
谷口 村田先生のキャリアは非常にユニークだと思います。大学では建築学を学ばれる一方で車いすテニスのボランティアを経験され、人に対して非常に関心を持たれた。それで分野を変えられて、医学の修士と博士を取得されたとうかがっています。このようなかたちで異分野を越境するモチベーションや動機は、どういうところにあったのでしょうか。
村田 もともと私は住宅設計に憧れがあり、純粋に建築を学ぼうと建築学科に入りました。ところが建築には、建物や家もありますが、街づくりもあります。そこに住む人のことを知らないと、設計は当然できない。そのように大きなテーマが建築にはあることを、車いすテニスのボランティアを通じて気付かされた経緯があったのです。
私が建築を学んでいた当時は、ちょうどバリアフリーが障害を解消するためのアプローチとして授業の中にも出てきた頃です。また、ユニバーサルデザインとして、障害者や高齢者、または小さいお子さん連れのお母さんなどにも幅広く配慮したデザイン設計が言われました。私はこの2つに非常に興味を持ち、住宅のなかでも「住む人」に対する関心を得たのが、大きなターニングポイントになったと思います。
●道具とルールを工夫すれば、障害は補える
村田 車いすテニスとの出会いは、たまたまテニス部に入っていたため、ボランティアの一環として行ったものです。今はプロとして活躍されている国枝慎吾選手が、まだ世界ランキングに入る前でしたが、選手として走っているその横で、私も走ってボールを拾ったりしていました。
障害者スポーツとは言うものの、その枠を超えた競技として、車いすの存在を感じさせなかったです。私もテニスをやっていたわけですが、私以上にうまい選手がいくらでもいました。選手自体が障害を持っていても、道具がその障害を補う。それからルールも、ツーバウンドまでOKというように、独自のものがある。そのように、道具とルールを工夫することで、私たちと一緒にテニスをすることができる。選手たちを通じて、そういう考え方に気付かされたこ...
●車いすテニスが建築から医学への転身を促した理由
谷口 厚木市の七沢にある神奈川県総合リハビリテーションセンターに来ています。今日は研究部の村田知之先生にお話をうかがいたいと思います。先生、よろしくお願いいたします。
村田 よろしくお願いいたします。
谷口 村田先生のキャリアは非常にユニークだと思います。大学では建築学を学ばれる一方で車いすテニスのボランティアを経験され、人に対して非常に関心を持たれた。それで分野を変えられて、医学の修士と博士を取得されたとうかがっています。このようなかたちで異分野を越境するモチベーションや動機は、どういうところにあったのでしょうか。
村田 もともと私は住宅設計に憧れがあり、純粋に建築を学ぼうと建築学科に入りました。ところが建築には、建物や家もありますが、街づくりもあります。そこに住む人のことを知らないと、設計は当然できない。そのように大きなテーマが建築にはあることを、車いすテニスのボランティアを通じて気付かされた経緯があったのです。
私が建築を学んでいた当時は、ちょうどバリアフリーが障害を解消するためのアプローチとして授業の中にも出てきた頃です。また、ユニバーサルデザインとして、障害者や高齢者、または小さいお子さん連れのお母さんなどにも幅広く配慮したデザイン設計が言われました。私はこの2つに非常に興味を持ち、住宅のなかでも「住む人」に対する関心を得たのが、大きなターニングポイントになったと思います。
●道具とルールを工夫すれば、障害は補える
村田 車いすテニスとの出会いは、たまたまテニス部に入っていたため、ボランティアの一環として行ったものです。今はプロとして活躍されている国枝慎吾選手が、まだ世界ランキングに入る前でしたが、選手として走っているその横で、私も走ってボールを拾ったりしていました。
障害者スポーツとは言うものの、その枠を超えた競技として、車いすの存在を感じさせなかったです。私もテニスをやっていたわけですが、私以上にうまい選手がいくらでもいました。選手自体が障害を持っていても、道具がその障害を補う。それからルールも、ツーバウンドまでOKというように、独自のものがある。そのように、道具とルールを工夫することで、私たちと一緒にテニスをすることができる。選手たちを通じて、そういう考え方に気付かされたこ...
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