●海外と日本では車いすのイメージが違う?
谷口 先生の研究室には、車いすのフィギュアがたくさんありましたが、日本では一般的に、車いすに対するイメージがまだまだネガティブなのではないかと思います。私の親戚も車いす生活をしていて、たまに私も乗せてもらったりしますが、やはり不便さを感じ、普段行っている二足歩行のありがたみを知ります。
ですから、RewalkやHALを使えば二足歩行ができる点は魅力だと思うのですが、先生が言われるように、トレーニングも積まなければ使いこなせないのでは大変だと思います。車いすの方が移動効率的にはかえっていいのではないかともうかがいました。
このあたりは、国による意識の違いがあるのでしょうか。日本では車いすに対してネガティブなイメージがつきまといますが、海外ではフィギュアにもなれば、車いすのヒーローやヒロインもあり得る存在として描かれるように、1つの市民権を得ている。海外と日本の意識の差について、先生はどうお感じになっていますか。
村田 私はもともと建築を学んだので、その視点が強いのだろうと思いますが、そもそも生活様式の違いがあります。日本はずっと床で生活してきた文化で、皆さんの家もそうだと思いますが、玄関に段差があり、部屋の中にも敷居がある。トイレは少し前まで和式で、夜は布団で寝る。そういう生活をしてきたわれわれと、ヨーロッパやアメリカなどの椅子式文化では、まず段差などの環境が違います。そのため、車いすが利用可能になっても、日本ではあまり普及してこなかったことがあると思うのです。
さらに、家の広さも違います。アメリカの家などのスペースを見ると、このゆとりが大きなポイントなのかと感じます。Rewalkなど、海外で使われている写真や動画を見ることもありますが、とにかく家が大きい。いざ生活で生かそうとなったときに、日本の住宅では廊下が通れない、車いすですらギリギリではないかと思います。ところが、海外の住宅だと十分通れるし、段差もありません。そういったところが、車いすに対する環境面の違いなのかと感じます。
あとはやはり、椅子自体に対する考え方も、われわれの歴史は浅い。家の中で椅子に座るということすら、せいぜい戦後で、海外に比べるとやはり非常に少ないです。海外の方は椅子に座るのが当たり前で、マイチェアを持っているぐらいです。われわれの生活様式としては、まだまだ畳があれば下に座るし、フローリングでも床に座る。このような「椅子」に対する意識の差が、車いすになるとより如実に出たりするのではないかと思います。
●歴史的な車いすの認識も、今後は変わっていく
村田 車いすの入ってきた歴史も、先進国と比べると非常に浅く、ようやく戦後に金属パイプ製の、今とほとんど同じタイプのものが入ってきました。1964年の東京パラリンピックをきっかけに日本も先進国の車いすをまねるようになり、開発が急速に進んだ歴史があります。その意味でも、少し遅れを取っています。
海外、特にアメリカなどは、傷痍(しょうい)軍人の方に対して車いすをつくり、使ってもらうようにしました。国のために戦争に行ってけがをしてきた方々が乗るようになったため、車いすには市民権が伴いました。そういう方々が外に出て、車いすのために食事ができないといったことがあれば訴えられてしまう。そういう社会的背景もあり、車いすが当たり前に受容される文化が形成されてきたように感じます。
谷口 なるほど。日本における負のイメージを払拭していくために、何かいい方法はないのでしょうか。
村田 最近の若者という言い方では分かりづらいでしょうが、大学のいろいろなボランティアの学生たちと会う機会に話をしてみると、車いすに対するイメージが、彼らは少し違っています。それで、もしかすると私や皆さんの世代と、今二十歳前後の若い世代とでは、もうすでにイメージが違っているのではないかと認識するようになりました。
日本のテレビドラマなどでも、最近は車いすに乗った主人公が登場しています。アニメ作品にも、車いすのキャラが少しずつ出てきているようです。そのようにして、昔より目にする機会が必然的に増えている。ましてや教育制度も変わっていて、昔とは道徳の考え方も少し変わってきていると思います。
授業でも、ゲーム形式で車いす体験を行ったりすることがあるし、パラリンピックの普及活動を行うアスリートも各地で増えています。そういうものを見て、かっこいいと思う小学生が増えてくるのを見ていると、やはり社会的な流れが大分変わってきていると感じます。ですから、日本が海外に追いつくかどうかはともあれ、負のスパイラルについては自然に変わってきているのではないかと感じます。
谷口 それは、とてもいい傾向ですね。冒頭で車い...