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『働くということ』が示す「能力主義」社会の実相とこれから
「人生は競争だ。他人に負けるな」「日々成長しなさい」「努力して能力を伸ばせ」――こういった言葉をこれまで何度となく聞かされてきた方は多いのではないでしょうか。また、「自己責任」という言葉があるように、どんな失敗も自分のせいだと感じる方も少なくないのはないでしょうか。生産性の向上が求められ、コスパ・タイパを重視した効率的な行動が推奨される現代社会では、自分のペースを見失いがちです。競争社会の中で、常に成長や結果を求められる毎日に、私たちはいつの間にか疲れ果てているのかもしれません。こうした状況で、私たちは本当に大切なものを見失ってはいないでしょうか。
今回紹介する『働くということ 「能力主義」を超えて』(勅使川原真衣著、集英社新書)は、現代社会が抱える「能力主義」の問題点を批判的に検証し、組織論の観点から人と人との関係をとらえ直して、新たな社会のあり方を構想する書籍です。本書を読むと、現代社会がどれほど「能力主義」に縛られているかが見えてきます。問題点を整理し、勅使川原氏が提示する代替案を知ることで、新たな視点を得ることができるでしょう。本書は、「能力主義」社会に疲れたすべての人に読んでほしい一冊です。
本書は、教育社会学の学問的知見と組織開発の専門家としての経験に基づいています。勅使川原氏が現場で実際に体験したエピソードをもとに解説を加えるという構成が採用されています。この形式によって、読者が具体的にイメージできる現実的な議論となっています。
本書では、「能力」や「能力主義」といった言葉が必ずカギ括弧つきで書かれています。これは、これらの言葉が一見客観的な概念のように見えるものの、その実、社会的に構築された虚構であり、その意味や影響について批判的に再考する必要があると強調するためではないでしょうか。
「能力主義」はさまざまな発言や文書に現れます。本書では以下のような例が挙げられています。
「みずからの能力をどんどん発揮できるような人をどんどん出すということは、仮に格差が広がっても、私は悪いことではないと思っているんです」(小泉純一郎元首相の発言)
「日本経済が活力を取り戻すためには、過度に結果の平等を重視する日本型の社会システムを変革し、個々人が創意工夫やチャレンジ精神を最大限に発揮できるような『健全で創造的な競争社会』に再構築する必要がある」(経済戦略会議答申「日本経済再生への戦略」)
他にも、経済産業省が2022年に出した「未来人材ビジョン」という提言書にも、「能力主義」の影響が顕著に示されています。ここで政府が「求める人材」や「求める能力」を具体的にリストアップしていることからも、「能力」中心の発想が根強く残っていることがわかります。
まず、「能力」という概念の仮構性についてです。誰もが「能力」を「測る」、「開発」すると言いますが、その概念自体は実際にはあいまいで不明確なものです。教育社会学者の本田由紀氏の議論を引用しながら、勅使川原氏はこの点を指摘しています。
また、勅使川原氏の修士課程時代の恩師・苅谷剛彦氏の議論を参照しながら、「能力主義」が新たな階級社会を生み出し、不平等を再生産する危険性についても言及しています。
このように、本書は学術的な観点から「能力主義」の問題点を明らかにしていきます。とはいえ、「能力主義」社会の問題はすでに多くの人が実感していることでもあります。終わりのない競争や他者との比較に息苦しさを感じている人は少なくないはずです。
例えば、「よい組織」(「成果」を挙げられる組織)を作るのは「よい個人」(能力の高い個人)だと一般的に思われていますが、実際にはどうでしょうか。ある人が「活躍」したり「優秀」と称されるには、その人の能力だけでなく、「周囲の人たちの状況やタイミングなど、偶然性が大いに影響」していると勅使川原氏は指摘します。
「よい組織」とは、「良し悪しや序列付きの能力」ではなく、個人が持つ「癖」や「考え方の傾向」を把握し、それに合わせて「周りの人との組み合わせ方や仕事の内容、与え方、進め方を調整」できる組織だと勅使川原氏は言います。チームとして互いが発揮しやすい「機能」を持ち寄ることが、組織の「達成」や「成果」につながるのです。
「今あつまってくれているメンバーの持ち味を最大限活かし」ていくことが大切です。そのために、「もうすでに在る・有る」ものの中から、網の目のような関係性を作り出し、それぞれの「機能」が発揮されやすい環境を整える。これこそが勅使川原氏の考える脱・「能力主義」的な組織開発なのです。
こうした考え方の根底には、人間は互いに支え合って生きているという人間観があります。人は「有能」になること、「自立」すること、他者と「競争」することのために生きているわけではありません。勅使川原氏は人と人が組み合わさり、助け合うことが、生きることなのだと述べています。そして、「働くということ」も、このような視点から問い直されるべきなのです。
本書は「能力主義」の問題と向き合いながら、これからの社会に必要な哲学を示しています。他者や環境との組み合わせを工夫することで、ともに生きる道を模索する。そうすることで、感謝や敬意が循環する優しい社会を目指しているのです。「競争」や「選抜」を基盤とした息苦しい社会から抜け出すためには、根本的な発想の転換が必要です。本書はその方法を、組織論を通じて示しているのです。
本書が示す通り、問題を一挙に解決する特効薬はありません。ですが、「能力主義」を超えた新しい社会への興味深い展望を提示してくれています。本書を手に取って、「働くということ」のこれからについて、じっくり考えてみてはいかがでしょう。
今回紹介する『働くということ 「能力主義」を超えて』(勅使川原真衣著、集英社新書)は、現代社会が抱える「能力主義」の問題点を批判的に検証し、組織論の観点から人と人との関係をとらえ直して、新たな社会のあり方を構想する書籍です。本書を読むと、現代社会がどれほど「能力主義」に縛られているかが見えてきます。問題点を整理し、勅使川原氏が提示する代替案を知ることで、新たな視点を得ることができるでしょう。本書は、「能力主義」社会に疲れたすべての人に読んでほしい一冊です。
教育社会学の知見を組織開発の現場で生かす
著者の勅使川原真衣(てしがわら まい)氏は、横浜出身の組織開発専門家です。東京大学大学院教育学研究科で修士課程を修了後、外資系コンサルティングファームでの勤務を経て、2017年に組織開発を専門とする「おのみず株式会社」を設立しました。現在、企業や病院、学校などの組織開発支援を中心に活動しています。前著『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)は「紀伊國屋じんぶん大賞2024」でトップテン内(8位)にランクインし、大きな話題となりました。本書は、教育社会学の学問的知見と組織開発の専門家としての経験に基づいています。勅使川原氏が現場で実際に体験したエピソードをもとに解説を加えるという構成が採用されています。この形式によって、読者が具体的にイメージできる現実的な議論となっています。
現代社会にはびこる「能力主義」の実態
勅使川原氏は「能力主義」がまん延する社会に警鐘を鳴らしています。「能力主義」とは、簡単に言うと「できる人はもらいが多く、できの悪い人はもらいが少なくても仕方がない」という考え方のことです。「頑張ったら報われる」というこの考え方は、かつての身分制に比べると、より平等だと思われていますが、実際には多くの問題を抱えています。本書では、「能力」や「能力主義」といった言葉が必ずカギ括弧つきで書かれています。これは、これらの言葉が一見客観的な概念のように見えるものの、その実、社会的に構築された虚構であり、その意味や影響について批判的に再考する必要があると強調するためではないでしょうか。
「能力主義」はさまざまな発言や文書に現れます。本書では以下のような例が挙げられています。
「みずからの能力をどんどん発揮できるような人をどんどん出すということは、仮に格差が広がっても、私は悪いことではないと思っているんです」(小泉純一郎元首相の発言)
「日本経済が活力を取り戻すためには、過度に結果の平等を重視する日本型の社会システムを変革し、個々人が創意工夫やチャレンジ精神を最大限に発揮できるような『健全で創造的な競争社会』に再構築する必要がある」(経済戦略会議答申「日本経済再生への戦略」)
他にも、経済産業省が2022年に出した「未来人材ビジョン」という提言書にも、「能力主義」の影響が顕著に示されています。ここで政府が「求める人材」や「求める能力」を具体的にリストアップしていることからも、「能力」中心の発想が根強く残っていることがわかります。
教育社会学が明らかにする「能力主義」の危うさ
勅使川原氏は主に教育社会学の知見に基づいて、こうした「能力主義」の問題点を指摘していきます。まず、「能力」という概念の仮構性についてです。誰もが「能力」を「測る」、「開発」すると言いますが、その概念自体は実際にはあいまいで不明確なものです。教育社会学者の本田由紀氏の議論を引用しながら、勅使川原氏はこの点を指摘しています。
また、勅使川原氏の修士課程時代の恩師・苅谷剛彦氏の議論を参照しながら、「能力主義」が新たな階級社会を生み出し、不平等を再生産する危険性についても言及しています。
このように、本書は学術的な観点から「能力主義」の問題点を明らかにしていきます。とはいえ、「能力主義」社会の問題はすでに多くの人が実感していることでもあります。終わりのない競争や他者との比較に息苦しさを感じている人は少なくないはずです。
「能力主義」を超えて――「機能」の組み合わせという新たな組織論
ではどうすればいいのでしょうか。勅使川原氏は脱・「能力主義」のためには発想の転換が必要だと訴えます。例えば、「よい組織」(「成果」を挙げられる組織)を作るのは「よい個人」(能力の高い個人)だと一般的に思われていますが、実際にはどうでしょうか。ある人が「活躍」したり「優秀」と称されるには、その人の能力だけでなく、「周囲の人たちの状況やタイミングなど、偶然性が大いに影響」していると勅使川原氏は指摘します。
「よい組織」とは、「良し悪しや序列付きの能力」ではなく、個人が持つ「癖」や「考え方の傾向」を把握し、それに合わせて「周りの人との組み合わせ方や仕事の内容、与え方、進め方を調整」できる組織だと勅使川原氏は言います。チームとして互いが発揮しやすい「機能」を持ち寄ることが、組織の「達成」や「成果」につながるのです。
「今あつまってくれているメンバーの持ち味を最大限活かし」ていくことが大切です。そのために、「もうすでに在る・有る」ものの中から、網の目のような関係性を作り出し、それぞれの「機能」が発揮されやすい環境を整える。これこそが勅使川原氏の考える脱・「能力主義」的な組織開発なのです。
こうした考え方の根底には、人間は互いに支え合って生きているという人間観があります。人は「有能」になること、「自立」すること、他者と「競争」することのために生きているわけではありません。勅使川原氏は人と人が組み合わさり、助け合うことが、生きることなのだと述べています。そして、「働くということ」も、このような視点から問い直されるべきなのです。
本書は「能力主義」の問題と向き合いながら、これからの社会に必要な哲学を示しています。他者や環境との組み合わせを工夫することで、ともに生きる道を模索する。そうすることで、感謝や敬意が循環する優しい社会を目指しているのです。「競争」や「選抜」を基盤とした息苦しい社会から抜け出すためには、根本的な発想の転換が必要です。本書はその方法を、組織論を通じて示しているのです。
本書が示す通り、問題を一挙に解決する特効薬はありません。ですが、「能力主義」を超えた新しい社会への興味深い展望を提示してくれています。本書を手に取って、「働くということ」のこれからについて、じっくり考えてみてはいかがでしょう。
<参考文献>
『働くということ 「能力主義」を超えて』(勅使川原真衣著、集英社新書)
https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1219-e/
<参考サイト>
おのみず株式会社
https://hitomiru.jp/
勅使川原真衣氏のX(旧Twitter)
https://x.com/maigawarateshi
『働くということ 「能力主義」を超えて』(勅使川原真衣著、集英社新書)
https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1219-e/
<参考サイト>
おのみず株式会社
https://hitomiru.jp/
勅使川原真衣氏のX(旧Twitter)
https://x.com/maigawarateshi
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