●全寮制高校ISAKを立ち上げた
皆さん、こんにちは。今日は1時間ということで、何をお話ししようかなと思ってドキドキしながら来ました。
といっても、学校が既に立ち上がっているので、正直に言えば、私がこういうところでいろいろ話していることよりも、学校の現場で何が起こっていて、どんな子どもたちが、どんな顔をして、何をしているかの方が一番大事なのですね。ここから大体、車で20分ぐらいかかる山の上に、全寮制の高校が立っています。去年オープンしたばかりです。1学年目は50人昨年入学し、先々週から2学年目が始まったので、全部で2学年、合計100人の生徒が学んでいる高校です。来年は150人になって、実は少しずつエクスパンド(拡張)していくので、ここから7年ぐらいかけて250人ほどの学校に成長していこうという高校をつくっています。
●高1で中退、そして海外へ留学
テーマは二つあります。まずは、なぜ私がこのような学校をつくっているのか、というところからお話をさせてください。こういうことをやっていると、さぞかし私は昔から海外にいたのではないかとか、帰国子女ではないかなどと思われがちなのですが、そうではありません。私は小学校、中学校、それから高校1年生まで、ずっと日本の公立の学校で勉強をしていました。だから、「何が起こったの?」と、よく言われます。
日本、特に公立の高校にいたので、国公立大学を志望する人が非常に多く、また国公立の大学に入るためには、5教科を満遍なくできなければいけないという無言のプレッシャーがありました。私は、英語や国語、社会は大好きだけれども、数学は1学期目から赤点で、理科もギリギリでした。そうすると先生から呼び出されるわけですね。「あなた、このままではまずいんじゃないですか?」と。
そういう中で、私は高校1年の時に、なぜこうやって5教科を満遍なくやらなければいけないのだろうか? と非常に疑問を覚えて、学校をやめるんです。高1で中退します。東京学芸大附属高等学校というところだったのですが、入ったばかりでやめました。たまたまその時にかわいがってくれた英語や国語の先生が「君は日本の教育システムにあまり向かないから、海外に行ったらどうか」と言ってくれました。学校の片隅に、本当にこのくらいのわら半紙が1枚貼られていて、そこに“United World Colleges”とありました。その学校には全額奨学金で2年間海外へ行けるという奨学金制度があり、これがいいんじゃないか、ということで始まったのが、私の初めての海外生活です。
●三重苦だった留学生活の中、出会った友人
そうやって行ったのがこれですね。1991年のことです。皆さんが生まれる前かもしれないですね。その時に初めてカナダの全寮制の高校に行きました。私がいま学校をつくっているということに直結している一つ目の原体験がこの時代にあります。
私は高2で初めて行ったので、英語が全然分かりませんでした。そもそも授業が本当に分からない。何を言っているか全然分からない。しかも全寮制なので、カフェテリアでごはんを食べるのですが、ごはんを食べるときは10人が座れる丸テーブルなのです。そうすると、1対1で話しているときは、分からなければゆっくり言ってもらえたり聞き返せたりしますが、10人で話していると、ワーッと話が進んでしまうので、全然分からない。皆がワーッと笑ったら、「あっ」と遅れて笑うような、本当にイケていない私だったのです。しかも彼氏ができない。本当に三重苦のような生活が続いていました。
あまりにつらかったので、3カ月ほど本当に泣いて過ごしていたのですが、その時に同じような苦労をしている子がやはりいるわけですね。例えば、この時の生徒100人は、86カ国から人が来ており、私がすごく仲良くなったのは、メキシコ人の女の子でした。その子も、同じように英語ができなくて、私と同じように三重苦の日々を過ごしていました。たまたま寮の隣の部屋にいたので、すごく仲良くなったのです。
彼女が高2と高3の間の夏休みに、自分の実家があるメキシコシティに来ないかと言ってくれました。海外の学校には2カ月も3カ月も休みがあるので「じゃあ行ってみよう」ということで行ったメキシコシティでの経験が、おそらく今の私の、一つ目の大きな原体験だと思います。
●人生観を変えたメキシコでの体験
何があったか。20何年前ですが、メキシコシティに行ったら、彼女の家に驚きました。普通、日本で自分の友達を1カ月間、自分の家にホームステイに誘うということは、何かしらの客間があるかなと思って行きますよね。でも実際は、この会議室の半分もないような所に、家族全員で住んでいました。しかも、コンクリートのブロ...