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歴史上の人物にもひけをとらない魅力を持っていた裕次郎

歴史家が語る『裕次郎』(2)同時代史として書いた本

本村凌二
東京大学名誉教授/文学博士
情報・テキスト
西洋古代史、ローマ史を専門とする早稲田大学国際教養学部特任教授・本村凌二氏が、2017年7月に上梓した自著『裕次郎』を通して、石原裕次郎の魅力を語る。その語りには、同時代を生きた裕次郎を、歴史家として取り上げてみたいという願望が込められていた。(全4話中第2話)
【ご注意】本講義には、映画の内容や結末に言及する箇所がございます。
時間:14:06
収録日:2017/08/23
追加日:2017/09/27
≪全文≫

●歌が大ヒットして映画化される


 裕次郎の映画を観た時の感動や、格好良いお兄さんだなという憧れのようなものがあって長くファンとして続けられてきたのだと思います。

 裕次郎には今でも圧倒的な支持者が多くいます。それは、彼が歌を歌うからでしょう。歌を歌って、しかも、それが映画の中で主題歌になったものもあります。「嵐を呼ぶ男」はそのままの題名の主題歌がありますし、それより少し前に作られた「俺は待ってるぜ」も、やはりそのままの題名で歌になっています。それから前回お話しした「明日は明日の風が吹く」や「世界を賭ける恋」もそのままの題名で歌になっています。

 また、皆さんがよくご存じの「銀座の恋の物語」ですが、これは最初に歌がヒットしました。歌が非常にヒットしたので映画化となったのですが、そういうパターンも多いのです。少し後になってから出た「赤いハンカチ」や「夜霧よ今夜もありがとう」も歌の方が先にヒットして、それを映画化したものです。

 歌がヒットすると、みんながそれを口ずさみます。彼の声は非常に低音ということもあり、それほど声域が広いわけでもありません。そうすると、うまい下手は別にして、多くの男性にとって比較的歌いやすい曲ということになるでしょう。


●映画と歌と味わいのある歌い方、多様な語られ方が魅力


 裕次郎には、映画とともにその背景に歌があります。そうしたところが、圧倒的に他の俳優とは違う点です。ですから、今でも、例えばカラオケスナックに行き、年配の男性2~3人で2~3時間ほどいれば、必ず裕次郎の歌を歌うでしょう。もちろん私も歌いますけれども。今のカラオケだと本人映像が出てくるものも結構あるので、カラオケの歌詞が出てくる画面の中で映画の場面を観ることもできます。歌とともに映画の場面が出てくるということは、ある意味そうした場面を観たことがない人にとっても(裕次郎のことは)過去の話ではなくなるのです。

 裕次郎は30年前に亡くなっていますが、全盛時代ということになると、今から50年ほどさかのぼることになります。最初の感動は映画から受けたものであっても、歌とともにその声も彼の魅力の一つだといえるでしょう。彼の歌はうまいとか下手ということとは関係なく、まねができるものではなく、物まねをする人もあまりいないのではないかと思います。その声には独特な味わいがあり、非常に魅力的な歌い方で、今でも年配の人たちの中には、デュエット曲である「銀座の恋の物語」や、「赤いハンカチ」、「夜霧よ今夜もありがとう」といった歌を歌われる人がいるのではないかと思います。

 現在、「銀恋の碑」が銀座のど真ん中にあり、その中に「銀座の恋の物語」の1番の歌詞が刻まれています。当時は非常にはやりましたし、それ以後も多くの人が歌い継いでおり、今でも時々デュエットで歌われている場面を見かけたりします。

 ということで、映画そのものの衝撃と、歌が歌い継がれてきたというのが、(本で伝えたかったことの)2番目です。


●歴史上の人物にもひけをとらないリーダーとしての資質


 3番目は、それが単に若いが故の格好良さであったり、歌がうまいというだけではないということです。残念ながら私は、石原裕次郎と直接会ったことが1度もありません。見かけたこともありません。しかし、彼には出演した映画やテレビ、また彼の身近な人が彼について書いたいろいろなエッセーや伝記風のものがあります。そして何よりも、彼の実兄である石原慎太郎氏が『弟』を書いています。また、裕次郎自身も若い頃、『わが青春物語』というエッセーを書いています。

 それから、彼はインタビューにたくさん答えていたので、彼の死後、そのインタビューを掘り起こして年代順に並べた、いわゆる自分が語る自分史のようなものも残っています。

 そうしたものを併せて裕次郎の人柄なり、あるいは人物なりを考えていくと、彼は非常におおらかで、リーダーとしての資質を非常に持っていた人なのではないかと、私は思うのです。

 リーダーというと、政治家や経営者ということになるのですが、実際、彼は石原プロの経営者でした。周りの人たちの証言からすると、本人が親分とかリーダーになりたいなどという意思を持っていなくても、自然と周りに子分のような人たちが集まってくるという、そういうなかなか得がたいキャラクターを持っていたようです。おそらくそういう人物であったがために、よく裕次郎のキャッチフレーズとして「戦後最大のスター」「日本一愛された男」といった言い方をされますけれども、「なるほど。そういうふうに形容してもいいな」と思います。

 そうしたフレーズがあるからということではなく、映画やテレビを観たり、自伝や周りの人たちが書いたものを読んだりすると、人間としての大きさとし...
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