●ギリシア正教に端を発するウクライナ宗教史
みなさん、こんにちは。本日は、今、国際情勢の焦点となっているウクライナについて、歴史的な視点から少し考えてみたいと思います。
間もなくウクライナは大統領選挙を迎えようとしていますが、ウクライナについては、しばしば東ウクライナと西ウクライナとの対立、西部と東部との対立、あるいはロシアとウクライナ、ロシア人とウクライナ人、こういう対立関係で触れられることが多いのです。
しかし、意外とウクライナの宗教問題については、語られていません。現在のウクライナ問題を理解する上でも、実はかなり歴史的に複雑なウクライナの宗教と民族との関係を理解する必要があるということについて、みなさんと一緒に今日は考えてみたいのです。
ウクライナと呼ばれる地域では、もともと9世紀後半にキュリロスという人がスラブ諸民族への布教を開始し、真っ先にウクライナにはギリシア正教が持ち込まれました。このギリシア正教というのは何かと申しますと、もともとローマ帝国の全体において最も有力だったキリスト教ですが、395年のローマ帝国の分裂に伴い、首都ビザンチウム(後にコンスタンチノープルと呼ばれることになる)をいただく東ローマ帝国が、独自に皇帝のもとにおいて新しくキリスト教のあり方を模索したことに始まります。その東ローマ帝国におけるキリスト教、これがオーソドックな宗教、正統的な宗教だということで、ローマの教会に対抗しそれを無視する形で成立したのが、やがてギリシア正教、すなわちオーソドックスと呼ばれることになったのです。
●国家キエフ・ルーシが示すウクライナとロシア対立の複雑さ
このギリシア正教は、北のほう、つまり黒海方面からスラブのほうにかけて広がりを見せていきます。9世紀後半にキュリロスという人物がスラブの間に布教したのですが、このキュリロスの名前は、キリル文字のキリルに残っています。すなわち、ロシア文字、ウクライナ語やロシア語で使われるあの独特なスラブの文字のことをキリル文字というのは、このキュリロスらがスラブ民族に布教するためにそういう文字をギリシア語に基づいて編み出したことに由来します。カトリック教で用いるラテン語に見られるような、普通に私たちがよく知っているアルファベットと違う独特なロシア文字、スラブ文字のアルファベットが、キュリロス...