●増税の素案をまとめたが、振り出しに戻る議論ばかり
「社会保障と税の一体改革というのは、社会保障を充実、安定化させるとともに、財政の健全化を同時達成させようという趣旨のもとで、法案を作らせていただきました。ところが、これが困難を極めました。困難を極めるというのは、誰だって増税はやりたくないわけですし、与党も野党もやりたくないのです。そのやりたくないことをやらないと、日本はまさに持続の可能性がなくなってしまうと思ったので、自分の場合はおしりを決めたわけです。2011年の9月に総理に就任しましたが、その年の暮れまでに党の中で素案をまとめました。
その素案は、税率をいつまでに何パーセント上げるか、という内容です。今の法律の2段階論の基本になっていますが、それをまとめる話をしました。しかし、これがなかなかまとまらないのです。振り出しに戻る議論ばかりでした。そんな中、インドに海外出張をするので、「その間に決めてくれ」と言っておいたのですが、決まっていませんでした。
暮れの12月29日に帰ってきたときにまだ党内で議論していたので、私も入り、15分の演説をして、頭を下げればなんとかなるかなと思ったのですが、駄目でした。その後、5時間ぐらい激論を闘わせ、23人から質問をいただきながら、やっとその日の未明に合意することができました。そのときは100人ぐらい残っていましたけれども、拍手と握手で終わり、これで大きく前進したなと思ったのです。
●大きな岐路に立たされた野田氏、党内融和より国益の観点に立ち3党合意に向かった
ところが、その後うまく進みませんでした。おしりをいつも決めていたと言いましたが、翌年の3月までに閣議決定をして法律を提出し、法律を提出したら、その通常国会が終わるまでに成立させる、という予定でした。だいたい3カ月刻みにおしりを置いて、そのために不退転の覚悟だとか、政治生命を懸けてと自分を追い込みながら、その目標をクリアするために闘っていったのですが、そのたびに振り出しに戻る議論がたくさん出たのです。一番困難を極めたのは、岩手県出身の方との話し合いです。なかなか納得していただけないので、2012年の5月末と6月の初めと2回お会いしました。この大親分が納得すれば、相当数が賛成するかなと思って、乾坤一擲の会談をやりましたが、うまくいきそうでいかない。どうしても理解してもらえないのです。
そのとき、自分にとって一番大きな岐路に立たされました。民主党という一つの政党の党内融和を図るならば、私があきらめるということです。だとすると、全員がそろって他の法律や、あるいは次の予算を通すということは可能だったと思いますし、野田政権を延命させることも可能だったと思います。
けれども、せっかく党内で議論をやり、2段階で税率を上げることまで決めて、自民党や公明党とも相談し始めたという段階で、またゼロに戻ってしまっては、おそらく10年か20年は、このいわゆる消費税の話はまたタブーになってしまうのではないかという恐れを強く感じたのです。
したがって、党内融和よりむしろ、これは国益の観点に立って前へ進めようと思い、そして3党合意に向かったわけです。
残念ながら、そういうこともあって、党内にはバラバラ感が生まれ、民主党という政党は、解散総選挙の暁には厳しくしっぺ返しを受けて敗れました。私自身は多くの同志を失ったわけですから、敗軍の将として、同志の皆さんには申し訳なかったと思っています。政党の党首としては大変深く反省せざるを得ないし、おそらくこれは生涯、自分が生きている間、その責任が問われるだろうと思います。
しかし、私は一国のリーダーをやって思ったことは、厳しく責任を問われるような判断を背負い込んで決断をすることが内閣総理大臣の役割だということです。そのために、やったことについては、歴史の評価にゆだねたいと思います。
私は、自分のやったことに後悔はないのです。選挙の結果、仲間を落としたことについては、結果責任を厳しく問われますけれども、政策論としてやり遂げたことについては、全く悔いがありません。
●消費税引き上げ後の動向は、想定の範囲内で比較的円滑に進んでいる
それを踏まえて、この4月1日から消費税が引き上げられまして、その動向をずっと注意深く見てきました。もちろん駆け込み需要もありましたし、反動減もあるのですが、今のところ、想定の範囲内で比較的円滑に進んでいるのではないかと思います。これには、ほっとしています。
この消費税の引き上げの議論をやっているときに、いつも国会で出てきたのは、1997年に5パーセントに消費税を引き上げたときの話です。5パーセントに引き上げた後、日本の経済は大きく落ち込んでしまったと...