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デカルトが説いた「当座の道徳」とは何か?

デカルトの哲学的処世術(2)穏健に生きるための格律

津崎良典
筑波大学人文社会系准教授
情報・テキスト
デカルトが説く「当座の道徳」は、穏健に生きるためのヒントが詰まっている。津崎良典氏によれば、デカルトは三つないし四つの格律に従えば穏健な生活が送れるという。その格律とは。(全3話中第2話)
時間:12:07
収録日:2018/09/27
追加日:2019/03/17
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≪全文≫

●穏健に生きるためには、三つか四つの格律がある


 〔『方法序説』第三部冒頭で〕デカルトは「当座の道徳」という言い方をしています。当座、つまり差し当たりの道徳ということです。

 これについて見ていきたいと思いますが、この道徳は種類として三つか四つぐらいしかないと、デカルトは言います。三つか四つの格律で、道徳の場合、規則とはあまり言わないですから、「格律」という言い方をします。この三つか四つの道徳の格律に従って生きていくとどうなるか。穏健な毎日が過ごせると、デカルトは言います。「穏健」という語も、普段の日本語の会話では使わないかもしれませんが、行動や思考、考え方にやり過ぎ・行き過ぎがない、極端に走らない、強行手段に訴えないというのが穏健ということです。格律とは、行動上、全員がそれに従うことを求められるような取り決めのことです。


●一番目の格律:他人の意見に従え


 では、早速見ていきたいと思います。これを守れば穏健な毎日が過ごせるということです。最初の格律は、実際に行動に打って出る前に守らなければならないものです。

 「それは自国の法律と慣習に従うことであった。その際に、神の恵みを受けて幼少期から教えられてきた宗教をしっかりと守り、また、他のすべてのことについては、私が一緒に暮らさなければならない人のなかで最も良識ある人々によって実際に受け容れられている意見、極端から最も遠い、最も穏健な意見に従って自分を導いていくことであった。」

 つまり、或る状況下で、どうやって自分が行動していったらよいのか、どう振る舞ったらよいのかというとき、あの人が言っていることにはちょっと違和感がある、でも自分の考え方のほうが間違っているのかもしれない、そう吟味しているあいだにも、その人と付き合っていかなくてはいけない。そういう日々の生活を穏やかに過ごすため、一体どうすべきかといえば、「他人の意見に従え」といっているのです。

 ただ、どんな人の意見でもよいわけではなく、分別のある人、発言の穏健な人、あるいは行動が穏健な人、このような人に倣って自分の行動を決めていく、というわけです。その中には、法律上の決め事や習慣上の決まり、あるいは宗教上の定めもあります。こういったものは、共同体の中で長い時間をかけて培われてきた叡智のようなものですから、こういったものに自分の身を託して、自分の行動を決めていくということです。それは、自分の思想を改革しているあいだは、です。

 どうやったら自分はより物事を正しく判断できるようになるか、どうしたら自分の精神能力を鍛えられるようになるか。それを考えているあいだ、またそれに実際に取り組んでいるあいだも、毎日生きていかなくてはならないですから、生き方の問題として、とにかく他人に倣って生きていく、みんながやっているように生きていく。あるいは法律ではこうなっているから、とりあえずそれに従っていく。あるいは宗教上、そうなっているから、それに自分の身を託していく、ということです。これが最初の格律です。行動に移る前にどのように自分の行動を定めるかということです。


●二番目の格律:最善の道を探し、最後までやり抜け


 二番目は何か行動している最中です。『方法序説』にはこうあります。読みましょう。

 「自分の行動において、できる限りしっかりとし、けっして迷わないようにすること。そしてまた、どれほど疑わしい意見でも、ひとたびそれに決めたなら、きわめて確実な意見である時に劣らず、どこまでも忠実に従うこと。」

 ここでは何が指摘されているかというと、優柔不断の危険性です。これはデカルトが使う比喩で、何か行動している最中、あたかも森の中で道に迷った旅人のようにあっちへ行ったりこっちへ行ったりすることではありません。とにかく自分が進んでいる道が間違っているかもしれない、疑わしいかもしれないと思っても、とにかくまっすぐ進む。とにかく自分がやりはじめたことは、もしかして間違っていたかもしれないと思わずに、最後までやり抜く。これがとても大事である、とデカルトは言っています。

 そして、彼はこう言います。

 「そうすれば、望んでいる地点にうまく行けなくても(本当はこう行きたかったとしても)、最後はどこかには着くだろうし、そのほうが森のなかにとどまっているよりはおそらく良いことだろう。」

 学問の世界は白黒はっきりしています。だから「こちらに行け」といったら、行かざるを得ない。日常生活ではそういうわけにはいかないですよね。私たちの生活というのは悩みの連続です。本当にこちらに行ったらよいのか、あちらに行ったらよいのか。仕事でもそうです...
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