●バラモン教が生みだした先住民支配のための作戦
橋爪大三郎です。今日はヒンドゥー教について、お話ししましょう。
ヒンドゥー教は、インドにある宗教です。「ヒンドゥー」とは「インドの」というような意味なので、ヒンドゥー教は広い意味でいうとインドで生まれた宗教ということになり、インドにある宗教は全てヒンドゥー教です。一方、狭い意味でいうと、仏教は違います。ジャイナ教も違います。シク教も違います。イスラムは外から入ってきましたから、それももちろん違うのですが、そのようなものを除いて残ったのがヒンドゥー教、ということにはなります。ただ、ヒンドゥー教はどこまでを指すのかというのは、なかなか曖昧なのです。
歴史的にいいますと、昔々にはバラモン教というものがありました。これは3000年から3500年ほど前にアーリア人という外国人がインドに入ってきて、自分たちの宗教を持ち込みました。それがバラモン教です。アーリア人はギリシャ人だと思ってください。ギリシャの宗教は多神教です。ですから、アーリア人の持ち込んだ宗教は多神教だったので、多神教が持ち込まれたということです。
しかし、入ってきたアーリア人は人数が少なく、もとから住んでいた住民の方は多かったのです。そこでどうしたか。自分たち(アーリア人)は支配階級に居座ろう。そして、先住民をその下っ端、つまり身分が低い人たちにして、この身分の違いがひっくり返らないようにしよう。こういう作戦を立てたわけです。
●インドの本質を形づくるカースト制の特徴
これがカースト制というものなのですが、そのうちの上の2つにバラモンとクシャトリヤがあり、これが支配階級です。それから支配される側には、ヴァイシャとシュードラがあります。そして、その下にアウトカースト、今はダリットというような名前ですが、そういう人々もいる。つまり、4つないし5つのグループ(階級)があるということです。
普通、本にはこのように書いてあるのですが、インドの考え方をもう少し詳しくいうと、カースト制は2段階になっていて、今、言った4つのグループを「ヴァルナ」といいます。ヴァルナとは普通、「種姓(シュセイ)」といいます。これが4つあります。その下に「ジャーティ」があります。ジャーティとは「職業集団」とでも訳しておけばいいかと思いますが、社会の基本単位になるような特定の職業に従事する人たちのグループです。
このジャーティというグループは、族内婚といって、旦那さんや奥さん、配偶者を見つける場合、同じジャーティの中から見つけなければなりません。そして、子どもが生まれると、そのジャーティの人になるということで、そのジャーティが再生産されていくわけです。社会的な移動が非常に少ないというのが、カースト制なのです。
このジャーティがどれぐらいあるかというと、インド全体で1,000、2,000といった、すごい数です。そして、それがカースト制の特徴なのですが、上の方から下の方まで、いい方から悪い方まで、清い方から汚れた方まで、1列に並んでいて差別がある、こういうシステムになっています。聞いただけで、とても近代的ともいえず、また何ともいいようがない、伝統そのものの社会です。これが3000年も続いており、インドの本質を形づくっているわけです。
●国中の宗教を取り仕切るカーストの最上位バラモン
ヒンドゥー教は、このカースト制と密接不可分な関係があり、カーストの最上位のバラモンという人たちが宗教活動をすることになっていて、他の人は宗教活動ができないのです。だから、神様を拝む場合、そのときでも必ずバラモンに頼んで、バラモンにお祭りを執り行ってもらいます。自分たちではお祭りができないのです。
似ているのは日本のお葬式かもしれません。日本人は自分ではお葬式ができず、お坊さんに頼まないといけない、と考えていると思いますが、少しこれと似ているところがあり、神様へのお祭り事をするときに、バラモンに必ず来ていただく、というやり方なのです。
こうしてバラモンが国中の宗教を取り仕切っているのです。インドは大変バラバラな国で、言語もバラバラ、人種もバラバラ、それからカーストや社会階層もバラバラで、統一性が全くないように見えるのですが、唯一統一されているのはバラモンが宗教を執り行うということです。
そのバラモンは、昔々の古い本、例えばサンスクリット語で書かれた『ヴェーダ聖典』をはじめ本が無数にもあるのですが、そういう本をよく知っていて、その原理、原則に基づいてインド社会を運営、再生産をしている、という形になっています。
●カースト制は古代の「イノベーション」
問題は、なぜこのようなカースト制などというものがあるのか、ということなのですが、これは古代のいわば「イノ...