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災害に主体的に向き合えるような社会をつくる

日本の防災の課題(3)災害に主体的に向き合う社会

片田敏孝
東京大学大学院情報学環 特任教授/群馬大学名誉教授
情報・テキスト
防災で重要なことは、住民の防災意識やその知識だけではなく、実際に逃げることができるようにすることである。災害時に大事な人のことを考えて行動した結果、助からなかったケースも多い。防災対策ではこのような人間の行動も踏まえなければならない。片田敏孝氏が唱えるのは、コミュニティの連帯の強さによって主体的に災害に向かい合う社会の構築である。(全3話中第3話)
時間:10:58
収録日:2019/03/30
追加日:2019/06/08
タグ:
≪全文≫

●実際に人々が逃げることができるようにしなければいけない


 災害があって、検証の委員会が持たれますと、おおむね議論の方向は同じです。大抵は、まず十分な意識がなかったという、住民の防災意識の低さから、知識がない、適切な情報が届けられなかった、また避難路、避難所はどうかといった、知識の問題、情報の問題、避難路、避難所の問題というところに議論が終始します。

 また、住民の皆さんにハザードマップをしっかり見ていただくようなキャンペーン、防災教育を充実しなければいけない。防災意識を高めるための講演会をやらなければいけない。情報は適時、適切に出せるように行政は努力しなければいけない。避難所も、避難路も整備しなければいけない。そういった議論だったのです。

 でも、私はこの議論の仕方に多少の疑問を感じています。確かに命を守るためには知識も必要です。情報も必要です。避難路も避難所も必要です。しかし、これまでの議論はここで止まっていました。果たして、知識があったら、防災意識が高かったら、情報があったら、避難路があったら、人は逃げられるのでしょうか。

 例えば東日本大震災では、多くの方が亡くなりましたけれども、沿岸部の人たちは地震の後に津波が来ることは知っていました。津波の後、避難をするには1秒でも速く、1メートルでも高いところに逃げなければいけないことも、皆さん知っていました。しかし、そうであっても、逃げなかった人、逃げられなかった人はたくさんいます。そのため、多くの命が失われています。


●人は大事な人のことを考えたときに逃げられなくなる


 私は避難の問題を研究し、避難できる社会の在り方について研究していく中、これまで多くの災害現場に立ち会ってきました。大変つらい作業なのですが、亡くなった方がどうして亡くなったのかも調べました。その中で、やるせない気持ちになることが何度もありました。

 例えば東日本大震災の日、地域の若き消防団員が高台まで駆け上がってきました。「おじいちゃん、いるか」と、おじいちゃんを探しました。おじいちゃんはいませんでした。その消防団員はおじいちゃんを迎えに行こうとしました。もちろんみんな止めます。「津波が来る。行くな」というわけですが、この状況の中で、おじいちゃんが今いないということは、おじいちゃんの死を意味します。職責を全うしようという責任感があり、正義感にあふれた消防団の若者はそこに飛び込んでいきました。そして、帰ってこなかったのです。

 また、これはある若いお母さんの例です。先ほどまで二人兄弟の下の弟がここで遊んでいたのですが、見当たりません。「津波が来る」と思ったので、そのお母さんは懸命にその子を探しました。しかしやはり見当たりません。上のお兄ちゃんが、学校で教わったように弟を連れて先に高台に逃げているわけです。お母さんはそれを知らず、懸命に子どもを探しました。お母さんのすぐ脇には駆け上がり階段も、避難所もありました。しかし、津波が来ると思ったからこそ、お母さんは懸命に子どもを探したのです。

 このときの消防団の若者やこのお母さんは、防災意識が低かったのでしょうか。知識がなかったのでしょうか。情報がなかったのでしょうか。避難路がなかったのでしょうか。全部違います。

 時に人は人として逃げられないと、私は考えます。そして、人はわが身をも危うい状況に陥ったとき、防災研究者や行政から「適切な行動を取りなさい」と教えられますが、真っ先に考えるのは大事な人のことだと、私は思います。

 例えば、あの東日本大震災の日、東京では多くの帰宅困難者という問題が出ました。あの日、おそらく多くの方は自分の命をも危うい状況を感じ取ったと思います。その時、真っ先に脳裏をよぎったことは家族のことです。わが家はどうなっているだろうか、うちの奥さんはどうしているだろうか、うちの娘はどうしているだろうか。その確認が取れない状況にあった場合、人は万難を排して帰ろうとするでしょう。それがあの日の帰宅困難者問題だったのだろうと思うのです。

 やはり大事な人のことを考えるというのが、災害時のまさに危機に接した人の、その日その時の心情なのではないでしょうか。そんなことまで考えた上で防災対策を講じない限り、実効性ある防災はできないように思います。


●九州では行政に頼らずに自らの判断で豪雨に備えるコミュニティがあった


 2017年に九州北部豪雨がありました。これはものすごい雨で、私も政府の調査団の一員として、また中央防災会議の作業部会の一員として、現場の視察に行ってきました。多くの現場を見て、これほどの被災状況であるにもかかわらず、なぜ犠牲者が出ていないのかと疑うようなところが本当にたく...
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