●幸福を達成してきた人類は不老不死という新たな夢を追求する
その次に、同じ著者が『ホモ・デウス』という本を書きました。原著には、Brief History of Tomorrowという副題がついています。デウスというのは神様という意味です。また、Brief History of Tomorrowという副題からも分かる通り、この本のテーマは未来予測です。
この本は上下2冊刊行されています。私には上巻と下巻の間の整合性に関してよく分からない部分がありますが、まず上巻では、人類がこれまでに何を達成したか、ということについて記述されています。この長い歴史の中で、ここ数百年、数十年の間に何ができたかというと、世界大戦のような大きな戦争を回避し、飢えで死ぬという飢饉を回避し、病気に関してもおおむね普通の病気は治るようになって、みんな一応のところは幸せになってきたわけです。戦争や飢饉により多くの人々が犠牲になる、もしくは感染症によって高確率で乳幼児が亡くなるということがなくなったという意味では、みんなおおむね幸福になってきたといえるでしょう。
もちろんまだ戦争に苦しんでいる地域もあり、飢饉がある地域もあり、乳幼児が亡くなることもありますが、全体を平均して見た時に、人類はおおむね幸福になりました。その人類にとって、今や何が不幸かというと、それは年を取っていくことと死ぬことであると、著者は主張しています。年を取っていくこと、そしてやがて必ず死に至ることは嫌なことだろうというのです。
そこで、この不幸の克服が次の人類の課題となるのです。加齢もしない、死にもしないという存在は神様のようなものなので、神様としての人間ということで『ホモ・デウス』というタイトルがつけられています。この主張に関しては、私は完全には同意できない部分もあります。このような考察は良いのですが、本当にみんながそのように考えるのかという点に関しては、疑問が残ります。
●AIと不老不死の関係に対する懐疑的な視点
このように、上巻では不老不死を追究する人類の話が展開され、多くの人が不老不死をどのように追究しているのかについて書かれています。対して、下巻では、これから急速に発展していくAIの話が展開されます。AIが人間にだんだん近づいていくというけれども、本当にそうでしょうか。ともかく、AIが進歩していく中で、どのような社会が形成されていくのかという点について書かれています。
この上巻と下巻の関係を考える上で私が疑問を持っているのは、AIが急速に進歩して、AIだらけになり、AIで何でもできるようになるという世界で、人類は本当に不老不死を求めるようになるのか、という点です。その2つが両立するのか、私にはよく分かりませんし、そこが結びつきません。
シンギュラリティや、この不老不死を追究している人々は、皆年寄りなのです。60歳や70歳の人が、「もしも100年後に生まれてきたら、70歳でもこんな体ではないかもしれない」、「もっと若々しく生きられると良い」などといいます。こうした人は、みんな年寄りなのです。
●人類の未来を支える若者は本当に不老不死を望んでいるのか
私は、今この時代を生きている若者に、「本当にあなたは永遠の命が欲しいですか」と尋ねてみたいと思います。部品を取り替えるように体の一部を取り替えて、ずっと元気で生きられるとしたら、永遠に生きたいと本当に思いますか。今の若者に、そう私は問いかけてみたいのです。
AIの開発を進めていくことには、おそらく良い側面と悪い側面の両面があると思いますが、研究をしている若い研究者の大多数が、「本当に自分が永遠の命を持ちたいか」という問いに対してYESと言わない限り、不老不死の望みは一部の年寄りのエゴにすぎないと思います。私は、不老不死にはなりたくないですし、いい加減の時点で人生にけりをつけたいと考えています。それが美学だと思います。
ともかく、今述べたような形で未来は進むのではないかということを、『サピエンス全史』を書いた後に、ユヴァル・ノア・ハラリが考えた。その結果が、この本です。
以上のように、人類全体を知ること、そして人類史全体を知ることの重要性を訴え、大きな視点から人間の歴史や社会を観察し、今後のことを考えようという視点提供をしたという意味で、今回ご紹介したユヴァル・ノア・ハラリは非常に優れたオーサー(著者)だと思います。
(ユヴァル・ノア・ハラリ著、柴田裕之翻訳、河出書房新社)