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なぜハーディング候補は歴史的大勝を収めることができたのか

ハーディングとトランプ~100年前の米大統領選を読む(2)ハーディングの実像

東秀敏
米国安全保障企画研究員
概要・テキスト
ハーディング大統領就任式、1921年
ハーディングは当時、共和党としては異色の政治家だった。学歴も後ろ盾もない中、ビジネスマンとして身を立て、政治家の道を志し、やがて1920年に大統領に選出されることになる。それは、彼が当時普及し始めたメディアを活用して、大衆にアピールし、支持を獲得したからである。この点、ソーシャルメディアを巧みに用いるトランプ大統領との大きな共通点である。(全6話中第2話)
時間:06:22
収録日:2020/06/11
追加日:2020/08/20
キーワード:
≪全文≫

●異色の共和党エリートとしてのハーディング


 このアメリカファーストを唱えたウォレン・G・ハーディング候補の人柄を見ていきましょう。

 ハーディングは、1865年に地方の州であるオハイオ州の中でも特に田舎の町で生まれ育ちました。アングロサクソン系とオランダ系の血を継いでおり、典型的な白人です。宗教的には、プロテスタントの一派のバプテスト派、福音派でした。今はなきまったく無名の地方大学を卒業した後、300ドルでオンボロ新聞社を買収して、それをオハイオ一の新聞社に育て上げました。しかも民主党の基盤であるにもかかわらず、共和党系の新聞社を地域ナンバーワンに育て上げるなど、辣腕を振るいました。

 大学時代からすでに雄弁家として活躍しており、彼が34歳のときにオハイオ州の議員に選出されました。州知事選挙で敗れますが、1914年には州知事レベルを超えて、上院議員として一気に国政デビューしました。根っからの共和党員として非常に人気がありました。

 当時はWASP、つまり白人、アングロサクソン、プロテスタントの層の支配が盤石で、加えてアイビーリーグ出身という肩書き、そして財閥の支持等を持つ人々が、談合で政治を動かしていた時代でした。しかし、ハーディングは田舎の出身で、一応WASPには該当しますが、学歴や財閥の後ろ盾もない、完全なアウトサイダーでした。彼は、「オハイオギャング」と呼ばれる地元からの縁故主義による人脈を連れてきて、地元色を強く打ち出して国政にデビューしました。しかも、トランプ大統領とはこの点で異なるのですが、敵をまったくつくらない穏健な人として振る舞って、共和党内でも独特の存在感を発揮しました。


●メディアをうまく利用して1920年に大統領に選出


 次に、この無名候補ハーディングが、大統領選挙に出馬して当選するまでの背景についてご説明します。まず背景として、共和党の重鎮のセオドア・ルーズベルトが1919年に亡くなりました。民主党のウッドロー・ウィルソン大統領は三期目を目指しましたが、あまりにも人気がないので、民主党の有力者に説得されて引き下がりました。そして共和党と民主党の双方が談合で妥協案を出し、共和党側は無名候補のハーディング、民主党側はコックスという議員を候補者としました。

 当...
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