●ヨーロッパとは異なるというアメリカの自己意識
―― ありがとうございました。ウォレン・ハーディングは、暗殺されたなどといわれていますが、在任期間が短かったので、日本ではあまり馴染みがない大統領ですね。しかし、非常に重要な期間なわけですね。
東 非常に重要ですね。
―― 日本としては、日英同盟の破棄や、ワシントン会議、初めての世界的規模での海軍軍縮条約などで外交的に大きく動揺しました。それから何よりも、日本で反米が生まれるきっかけとなった排日移民法のもとをつくった人ですね。
東 そうですね。
―― そのような意味では、非常に重要な人なのですね。
東 そうなのです。
―― 重要なポイントとして、ウッドロー・ウィルソンの国際協調主義、大英帝国のように一つの世界全体を統治する仕組みに対する、アメリカ人の反感があったのでしょうか。
東 そうですね。やはり国際秩序をつくって維持することに、アメリカはまだ慣れていませんでした。この方法は、どちらかというと大英帝国的、帝国主義的なものなので、やはりアメリカ建国のDNAには全く合わず、直感的に何かおかしいという思いが、当時のアメリカ人にはあったのです。その反動として、非常に抽象的で、中身がほとんどないアメリカファーストというスローガンにアメリカ人はつられたのです。
―― そこに熱狂していくわけですよね。
東 そうですね。このスローガンへの熱狂に、反知性主義が組み合わさって、ハーディングの当選に至ったのだと思います。
―― 普通の人の常識からすれば、国際協調主義に対して違和感があったという点が最大のポイントですよね。
東 そうですね。
―― しかも当時は、第一次世界大戦の戦時経済の特需で好況に湧いていたのが、変化してきた時代でした。スペイン風邪の流行で、50万人が亡くなりました。また、12万人弱が第一次世界大戦で戦死しました。さらに、それまでの戦争特需がなくなり、不況が襲いますよね。その結果失業率が上がり、ウォール街でも爆破テロが発生します。第一次世界大戦の結果、アメリカは国際社会のメインメンバーになったものの、その反動が噴出してくる時期ですよね。
東 その通りです。
―― そうした状況の中で、世界全体の問題よりも自分たちの生活を考える、アメリカファーストだというスローガンが受け入れられるわけですね。
東 そうですね。第一次世界大戦の主な戦場は、ヨーロッパでした。ほとんどのアメリカ人にとっては、これはヨーロッパの、ひいては古い世界の問題だという認識があったのです。アメリカは建国当初からヨーロッパを古い世界と見なして、自分たちを新しい世界のリーダーだと思っていました。このような、新世界から見た旧世界の反動が背景にあるのです。ヨーロッパの古い君主制や、しきたりに従ったさまざまないざこざは、アメリカにはまったく関係ないという感覚を持っているのです。
●ウィルソンの失敗に見るアメリカ世論の大きな転換
―― そうした考え方と相反する政策を強引に追求したのが、理想主義者のウィルソン大統領だったわけですね。
東 ウィルソンですね。
―― そして、国際連盟まで用意しました。しかし、ウィルソンがつくった国際連盟に対して、ほとんどのアメリカ人は違和感があったということですね。
東 その通りです。
―― 彼らの常識からするとあり得ないというわけですね。
東 そうですね。
―― その結果、ウィルソンは3期目の立候補を、自分の支持母体である民主党の重鎮から1919年に止められてしまいます。
東 そうですね。
―― これは、アメリカの世論の非常に大きな転換点ですよね。
東 そうです。大きな転換点です。やはりアメリカ人の深層心理には、ヨーロッパと共同体になりたくないという思いがあり、これが現在のNATOに対する冷淡な政策につながっているのです。
先日(6月)もドイツから大量に米軍を撤退すると決定しましたが、ヨーロッパと運命共同体になるという考え自体が、アメリカ人の感覚からすると受け入れられないはずなのですよね。ハーディングの時代は、建国以来大きな距離があったヨーロッパとの関係を、一気にウィルソンが詰めたことに対して、それを是正する反動が現れた時期なのです。したがって、アメリカとヨーロッパの大西洋関係を考える際に、非常に重要な政権なのです。
●最もアメリカを理解していた原敬首相を失った日本の不幸
―― ここを日本は見誤ったわけですよね。
東 はい、そうですね。
―― アメリカが大きく転換していった時期、当時の1918年から暗殺される21年11月までは、日本ではアメリカを含めた西欧社会をもっともよく知る原敬が総理大臣でした。
東 そうですね。
―― 彼は内務大臣を務めた後、1908年に私費で、主としてアメリ...