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ハーディング流ディール外交に敗北した日本

ハーディングとトランプ~100年前の米大統領選を読む(3)米国第一主義の実践

東秀敏
米国安全保障企画研究員
情報・テキスト
ハーディングは国内政策と外交政策の両面で、大きな改革を行った。国内的には経済自由化を徹底し、非常に早いスピードでの国内経済の回復を達成。また、外交政策に関しては、再度孤立主義を打ち出し日英への圧力を強めた。当時の日本のエリートはこの転換の背景を理解できず、アメリカとの軋轢を深めた。これと似た方針を取るトランプ大統領と日本がうまくつき合っていくためには、ハーディング時代の分析が必要不可欠である。(全6話中第3話)
時間:08:16
収録日:2020/06/11
追加日:2020/08/27
≪全文≫

●ハーディングの国内政策の光と影


 米国第一主義のハーディングによる実践に関しては、国内と国外の分野にわけられます。国内政策としては、極端な減税と自由放任主義経済を導入し、富裕層を徹底的に優遇しました。260億ドル規模の第一次世界大戦の負債を一気に返済し、失業率を半分に削減しました。同時に、1921年には移民割当法に署名し、とくに東欧系、ロシア系のユダヤ移民を追放する動きに出ました。ハーディングが亡くなった後に、副大統領のクーリッジが大統領になりますが、彼は1924年に排日移民法に署名しました。つまり、この排日移民法につながる法案に、ハーディングは署名したのです。

 加えて、女性セクハラ問題に悩まされました。実際に、大統領任期中にさまざまな女性と関係を持って、隠し子が多くいるという説が今でも根強く存在しています。そして縁故主義がはびこりました。トランプ大統領のロシアゲート以上に問題となったといわれる「ティーポット事件」では、縁故主義によって当時のハーディングの閣僚が石油会社に優遇政策をとってしまいました。これを暴露され、ハーディングは大きな被害を受けました。このように、一連のスキャンダルに常に悩まされるという政権でした。

 外交政策に関しては孤立主義を前面に押し出し、グローバリズムに基づく国際連盟加盟を拒否して、多国間ディール外交でワシントン体制を築き上げました。一方で、過去にとらわれない柔軟な外交方針を取り、もともと敵国だったドイツ、またオーストリア、ハンガリー帝国と単独で国交を回復しました。そして、対独融資を始め、ドイツの負債返済に成功するまで継続しました。ワシントン体制の下では、元同盟国である日本と英国に対して徹底的に圧力をかけ、日英同盟を破壊するまでに至りました。


●ハーディング流ディール外交にうまく対応できなかった日本


 そのハーディング流のディール外交を詳しく見てみたいと思います。特に日本に関連する部分に着目していこうと思います。

 当時はまだ原敬が首相を務めていました。原首相は英米協調主義を取っており、ハーディングの打ち出したディール外交とうまく付き合うはずでした。原敬首相は暗殺されるのですが、後に首相職に就く加藤友三郎がそれを継承し、割合でいうとアメリカ、イギリス、日本が10:10:6の艦隊削減案に合意しました。

 当時のアメリカは、すでに日本を仮想敵国とみなしていました。ブラックチェンバーという防諜部隊を動員して、日本の出方を全て把握していました。東京・ワシントン間の外交電報を全て読んでいたのです。ですので、日本の出方はすでに分かっていました。当時の米国は、中国市場完全進出を狙っており、太平洋における脅威として日本とイギリスを捉えていました。第一次世界大戦の結果、英国国債を大量に米国が抱えていたので、イギリスに対しては強硬な態度に出ることができました。

 一方、日本の帝国海軍が率いる勢力は、ハーディングの仕掛けたディール外交をかなり不当なものと見なしており、ワシントン条約を不平等条約として捉える気運が高まっていました。その結果、原首相が掲げた「反ソ連・英米協調主義」ではなく、どちらかというと「反米・親ソ連主義」に近い道を歩むことになります。

 実際に、海軍の反米強硬派の加藤寛治大将などは、かなりロシア(ソ連)に対して融和的で、アメリカには厳しい人でした。北進論から南進論に転換するきっかけが、ここに生まれたのです。日本とアメリカの間のディール自体は10:10:6で成立しているのですが、ディール外交という大きな枠組みの中では、私は日本の敗北と見ています。日本はやはりハーディングの性格分析が不十分で、さらに当時の米国の国内情勢や安全保障に対する認識などの全体像が見えていなかったと思います。日本は特にアジアで衰退する大英帝国を突き放して、新興国であった米国と同盟締結をして、ソ連の脅威に対応すべきだったと、私は考えております。

 この写真は、ワシントン会議における日本全権の顔ぶれです。一番左から2番目が、当時の駐米大使の幣原喜重郎です。真ん中が、海軍の加藤寛治大将。その右にいるのが、陸軍の田中国重大将です。日本全権内でも、幣原率いる英米協調派と加藤率いる反米派の間の協力が全く取れていなかったのも、日本の問題だったと思います。


●ハーディング時代の分析を通じてトランプ政権をより深く理解できる


 結論としては、ハーディングは米国の歴史転換期と、日本には理解しがたいもう一つのアメリカを象徴する人なのです。とくにトランプ大統領につながる...
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