●ハーディング時代、敵対し始めていた日米関係のリセットに失敗
最後に、日米関係と米国史サイクルに関して見てみましょう。
日米関係は、これまでお話ししてきた米国史のサイクルの特徴をよく反映しています。アメリカのサイクルの停滞期には、日米関係のリセットのチャンスが到来するのです。
まず1853年の黒船来航は、フロンティア時代サイクルの末期の出来事でした。黒船来航直後にアメリカでは南北戦争が起こり、約50年間に渡って、アメリカは事実上日本史から姿を消してしまいます。そして、工業化時代サイクルにおいて、アメリカの対日政策の外枠が形成されました。その具体的な例が、フィリピンの植民地化とハワイの併合です。その後、マハンの議論が注目を集めるようになり、もともと大陸国家であったアメリカが、シーパワー、つまり海洋国家へと転換しました。
その結果、台頭する日本の海軍力と衝突することになりまして、徐々に日米関係の雲行きが怪しくなっていきました。注意しなければならないのは、こうした日米関係の悪化は工業化サイクル時代に起こった現象であり、米国史のサイクルに特有の戦略をアメリカは形成するという点です。
1920年代の停滞期には、規格外のハーディング時代が到来しました。アメリカファーストを訴えて、初めて当選した大統領です。彼の政権下でワシントン体制が形成されて、対日政策が成熟します。このワシントン体制は、まさにこの工業化時代サイクルの対日政策を象徴するものです。
このワシントン体制をもって日本の海軍力を制限しようとしましたが、当時のアメリカは日本を仮想敵国No.1として扱っているわけでは必ずしもありませんでした。当時のアメリカは、実は反大英帝国の政策も取っていました。実際に、対イギリスの「レッド計画」という海軍計画がありました。対日計画は「オレンジ計画」と呼ばれます。つまり当時のアジアには、アメリカ、日本、そして大英帝国という3つの海軍勢力があったのです。この時に、日米で手を組んでアジアにおける大英帝国の影響力を排除するという選択肢もあったはずですが、残念ながら当時は米英が組んで日本を封じ込めるという歴史の流れになりました。
しかし、実は当時、既存の日米関係をリセットするチャンスがあったのです。つまり、フィリピンの植民地化とハ...