●総裁選=党の代表選が「実質競争」の場になっている
―― みなさま、こんにちは。本日は曽根泰教先生に自民党総裁選~その真の意味と今後の展望というテーマで講義をいただきたいと思います。曽根先生、どうぞよろしくお願いいたします。
曽根 はい、お願いいたします。
―― ちょうどこの令和3年9月29日に自民党の総裁選挙がありまして、いろいろなメディアでは、これまでの政治部的な報道といいますか、「どういう権力構造で」とか「どういう派閥構成で」とか、そういうような議論が多く報道されたわけです。しかし、実はこの総裁選というのは、政治の状況を決めるのに、いろいろな決定要因になっているということで、先生にお話をいただきたいと思います。そもそも、この自民党総裁選の意味は、どういうところにあったのでしょうか?
曽根 はい、今日お話ししたいのは、この総裁選はですね、「もう終わっちゃって、人が選ばれたからおしまい」ということではなくて、政治の全体のなかで、どこに位置づけたら良いのか。これは、まだ定説があるわけではありません。そしてそのときに、政策選択というのは、どうなされていたのか。あるいは、どの程度、選択されているのか。そして、この選挙によって、何が残って、何が消えたのか。そして最後に、今後の課題という、この4点をお話ししたいと思うんですね。
「しょせん、この総裁選というのは自民党内の内輪の話じゃないか」という批判もあるのですが、それは正しくなくて、これは公の競争の場なんですね。公の競争の場なのだけれども、「実質競争」が総裁選に移る。つまり、「自民党内の競争」に移るわけです。
なぜかといえば、本来は、総選挙や国会での首相指名が、権力争いであり、まさしく政権を取るという意味なのですが、そちらはほとんど勝負がついてしまっている。つまり自民党、あるいは自公(自民党と公明党)の過半数はまず間違いないだろうと、みんな思っているわけですね。そうすると、実質の競争は、自民党の総裁選の場に移るわけです。
これがよくある「場の移動」という話です。私が前から唱えていることの1つなのですが、たとえば、公式の会議が「儀式」になってしまうと、実質の決定は、その前の段階、その前の打ち合わせなり、その前の予備会議、あるいはその前の段階の決定に場が移るという、その1つの例です。
過去を振り返ってみても、アメリカの大統領選挙のときに、党大会を日本のテレビ局が中継したことがあります。ただ、アメリカ、あるいはイギリスなどを見ていると、この党大会、党の決定、党の選択というものと、世論がしばしばズレるんですね。世論というよりも、本選挙とズレるわけです。
アメリカでは、民主党の場合は左の候補が勝ちやすい。あるいは共和党の場合は右の候補が勝ちやすい。(しかし共和党が)右が引っ張った議論で本選挙を戦うと、世論はそんな過激な議論は希望していないということで、このズレというものがしばしば指摘されているわけです。
ですから、党大会あるいは党の選択と、本選挙のズレというのは課題の1つです。
もっとも日本では、昔から(自民党の長期政権が続いている頃から)、政治部の記者たちにとって、総裁選と組閣は「お祭り」です。関心がそれだけあるということと、もう1つは権力闘争の場だということで、非常に関心を持って報道をしたわけです。ですから「総裁選が実質競争だ」ということは、自民党の長期政権時代はみんなが認識していたということです。
それから、総裁選というのは「出し物」として国民の関心を惹きつけるということもあります。今回も報道がありましたけれども、過去もうまく使えば、自分の党の支持率の上昇、あるいは選挙で勝てる、その前哨戦になるわけです。
しかしながら、民主党政権の頃などは、代表選を行なうと、それが対立の原因になってしまったり、遺恨を残すことになった例も多々あるわけです。自民党でも、代表選挙つまり総裁選が対立の原因になったということも過去あったわけです。
●総裁選で「劇的な政策転換」がなされた事例とは?
もう1つ、政策選択という観点から申しあげます。これはずいぶん昔の話になりますけれども、佐藤栄作さんの後に、田中角栄、福田赳夫の熾烈(しれつ)な対立があった選挙のことがよく報道されます。よく皆さんの記憶にも残っていると思います。
ただ、この選挙によって、日本は日中国交正常化、つまり日中関係の政策転換がなされるわけですね。福田さんの場合だったら、そういうことにならなかったと思います。田中角栄が選ばれることによって(ただ、田中さんは、程なくして、いろいろ批判を受けて失脚するわけですけれども)、日中国交回復という日中関係の改善の選択は、この総裁選でなされたと思います。
もう1...