●孔子の生誕地・曲阜での釈奠は宗教色を排除していた
では、儒教復興の続きを、またお話ししたいと思います。
本シリーズの中で長春の孔子廟を訪れたお話をしましたが、実は私はその前の2007年に、山東省にある曲阜(きょくふ)を訪ねています。ここは孔子の生誕の地で、今でも孔子の子孫の方々がたくさんお住まいの地域です。ただし、直系の子孫は台湾に行かれましたので、なかなか微妙なところもあります。
その曲阜の孔子廟で、孔子をお祭りする「釈奠(せきてん)」という行事に参加しました。北京オリンピックの前で、そこでのお祭りが地方レベルから国家レベルへ引き上げられていくプロセスの途中にありました。非常に面白いお祭りだと感じました。それは、なるべく宗教的な要素を排除するような方向性になっていたからです。
「儒学としての儒教」ということが繰り返し強調され、国際的にも非常に開かれた儀礼となっていました。ですから、これは宗教としての儒教、あるいは儒教そのものを排除しようとしてきた近代中国の歴史を、やはり踏まえているのです。「儒教が復興してきてはいる。しかし、封建的・前近代的な儒教を復興させるわけではない」という、非常に強いメッセージが込められていたように思います。近代をくぐり抜けたあとの儒教のあり方を模索するものでもあったのでしょう。
●日本の総理も訪問する曲阜、孔子の子孫は世界から
私が大変興味深いと思ったのは、その後、ちょうど同じ年の年末に、当時の福田康夫首相が曲阜を訪問されたことでした。私は「そうか。日本の総理も曲阜を訪問されるのだな」と非常に強い感慨を持ちました。ところが、新聞等ではベタ記事扱いで、あまり真面目に取り上げられた印象はありませんでした。
しかし、今お話ししているような近代の大きな枠組みの中で、近代の日本や中国が儒教をどうしてきたのか。あるいはこれからどうしていくのか。これらを考える上では、非常に意味のある訪問だったという気がしています。
ともあれ、大陸では儒教の中心である曲阜でお祭りが行われます。午前と午後に分かれていて、午後は孔家のお祭りということになっていましたが、それも拝見することができました。大変面白かったのは、孔子の子孫が世界中からお集りになっていたことです。世界中とはまさに文字通りの意味で、すでにいろいろな民族に孔子の子孫がいらっしゃるのです。皆さんが国際的に活躍されていますから、さまざまな言語や文化的背景を持った方々が一堂に会していたのです。「ここまで国際的なのか」と思い、少し感動した覚えがあります。
●直系の子孫と政府高官が集まる台北の孔子廟
もう一つ、考えてみたいのは台湾です。台湾をどう考えたらいいのかというと、これは「中国のもう一つの近代」としての経験の仕方を示しているのだろうと思います。ですから、台湾の儒教を考えることによって、もう一つの鏡を得ることができるのではないかという気がします。
私は、台北にある孔子廟も訪問することができましたが、今申し上げた曲阜とは非常に対照的な印象を受けました。というのは、孔垂長(こうすいちょう)さんという直系の子孫の方が儀礼に参加されていたからです。また、併せて台北市長や、馬英九総統ご自身も何年か前に参加されたようですが、その年は代理として当時の内務大臣だった江宜樺(こうぎか)氏が参加されていました。
江宜樺氏と私はご縁がありまして、実はハンナ・アーレントの研究でご一緒したことがあるのです。彼は非常に優秀な方で、イェール大学の学位をハンナ・アーレント研究で取られています。台湾大学で教鞭を取られていた頃に、私は知り合うチャンスを得たのですが、まさか政治家に転身されるとは思ってもみませんでした。今では首相(行政院長)を務められ、先日の学生による立法院占拠においてはなかなか難しい判断をされたように思って見ていました。
いずれにせよ、非常にハイクラスな高官の方が、台北の孔子廟のお祭りには参加されているのです。先ほど「政教分離が近代の原理の一つだ」と申し上げましたが、これはどう考えても政教分離とは違う感じがします。もちろん「儒教は宗教ではない」という議論に立てば、政教分離を問題にする必要はないのですが、これだけ政治家が関与されるのも、興味深い現象だろうと思います。高官クラスの方々が列席され、孔子の直系の方が参加されることで、こちらのお祭りは非常に宗教色の強いものになっていました。
●台湾の儒教には、二つの大きな政治的意味がある
では、台湾にとって、台北の孔子廟に代表される儒教は一体どういう意味があるのか。それを考えるには台北の孔子廟に刻まれた歴史を知る必要があり、日本の植民地期まで戻らなければいけません。日本の植民地支配の下、自...