●オリジナルの史料を読み解くことの重要性
―― 皆さま、こんにちは。本日は福井義高先生に「陰謀論と歴史修正主義を考える」というテーマでお話をいただきたいと思います。福井先生、どうぞよろしくお願いします。
福井 よろしくお願いします。
―― 第二次世界大戦からずいぶん年月が経ち、最近各国のいろいろな情報・史料が公開されるようになってきました。また、1991年にソ連が崩壊したことによって、ソ連の内部文書が一部外に出てきたことで、それらを用いて近現代史の見直しが進んでいます。一方で、これまでの、特に第二次世界大戦後に作られた歴史の価値観を否定するものの見方については、例えば「陰謀論」や「歴史修正主義」、あるいはそれを語る人たちが「リビジョニスト」というレッテルを貼られ、批判されるケースも見て取れると思います。この講座では、このような流れをどう考えるかについて、ぜひ先生にお聴きしたいと思います。
福井先生はこちらの『日本人が知らない最先端の「世界史」』(福井義高著、祥伝社)、そして『日本人が知らない最先端の「世界史」2 覆される14の定説』(福井義高著、祥伝社)を出されています。
いずれも一番冒頭の先生の目的意識の部分では、日本の近現代史をめぐる議論があまりにも日本中心であることを挙げています。福井先生ご自身は、主に外国語で書かれた歴史学の文献を使っていろいろと議論を構築されているということですが、この研究スタイルについて、もう少し詳しくお聞きできますでしょうか。
福井 歴史修正主義や陰謀論といわれてもしょうがない議論があります。そういう人たちは、憶測を語っているだけです。それがもっともらしい話であったとしても憶測にすぎません。
それに対して私は、ロシアまで行って手書きのものを見るレベルではありませんが、基本的には解禁されたオリジナルの文書を見ます。書籍としてかなりの程度公刊されているので、それを中心に読んで、そこから、「確実に言えることはこういうことです」というスタイルで書いています。
●第一次世界大戦後と第二次世界大戦後の歴史観の違い
―― そうすると、冒頭で述べたような、陰謀論や歴史修正主義という一種のレッテル貼りについて、どう考えていらっしゃいますか。
福井 第二次世界大戦後は、それまでの歴史記述と違って、正統的な歴史観の支配欲が非常に強く、そうした時代が長く続いてきました。
―― 強いのですね。
福井 はい。それは第一次世界大戦後とはかなり様相が違っています。第一次世界大戦後の場合は、ベルサイユ条約はドイツだけが悪かったという歴史認識に基づいて、ドイツ単独責任論を言い、戦勝国はそうした歴史観を確立しようとしました。しかし、それはすぐに事実に基づく反論に合って、ドイツだけではなくてイギリスやフランス、アメリカ側でも、ドイツだけが悪いわけではなかったのではないかという議論が盛り上がりました。
―― これは、第一次世界大戦後すぐに盛り上がったということですね。
福井 そうです。第二次世界大戦後、例えば戦勝国が国際連合の常任理事国なのは、もう70年ほど変わっていませんが、国際連盟では、ドイツはもう1920年代の半ばに常任理事国に復帰できました。プロパガンダはやり合ったけれども、戦争も終わったので、所詮は戦争中のプロパガンダだったという感じになりました。
結局、日本が真珠湾攻撃でアメリカが参戦せざるを得ないような形を作ったものの、アメリカでは第二次世界大戦の反戦気分が非常に強くて、欧州の戦争にはなかなか参加できませんでした。そういう失敗を繰り返さないためなのかもしれませんが、第二次世界大戦後は、いわゆる戦勝国史観、第二次世界大戦の戦勝国史観を修正するような動きは非常に抑えられるようになりました。
―― 端的にいうと、ドイツではニュルンベルグ裁判で、そして日本では東京裁判で戦犯を裁きました。たまに東京裁判史観などと言われることもありますが、ある意味で、あれは「公式の裁判」として、ドイツならドイツ、日本なら日本の罪状を裁きました。
福井 そうですね。それに対する枝葉の部分はともかく、根幹に対する批判は許しませんでした。日本はまだマシですが、ヨーロッパではニュルンベルグ裁判史観に反する言論は現在、刑事罰の対象になっています。
―― それが、第一次世界大戦後と第二次世界大戦後では全く異なっているということですね。
福井 そうです。
●第二次世界大戦後から「陰謀史観」の意味づけが変わった
―― そういう状況をどう読んでいくかですが、先生は非常に面白いことをご指摘しています。実は「陰...