●皇道派は中国との戦争を回避したかった
皇道派の将校たちは、眞崎甚三郎もそう、小畑敏四郎もそう、樋口季一郎や辰巳栄一といった開明派はもちろんのこと、中国と事を構えたら泥沼の戦争になってしまい、いずれ米英と敵対することになり、最後の最後に必ず共産主義のソ連が乗り出してきて、日本は虚を突かれる。対米戦でボロボロになった国力をいいことにソ連が侵攻して、日本は赤化されると考えました。
それを最も恐れたのが皇道派です。統制派は逆にソ連とはいい関係を築けると考えました。むしろ、中国を日本の実質支配下に置くことこそが日本の唯一の選択肢であり、そうしたら米英相手の戦争も十分に可能になるということです。いわゆる東亜共同体とか後の大東亜共栄圏という発想で、総力戦体制論と全く軌を一にしているわけです。
ですから、一番危険な思想は統制派の思想だったということです。昭和日本を破滅に追い込んだのは統制派的な発想で、米中をともに敵に回しても日本は十分に対抗できると踏んで、そして共産主義、ソビエト、あるいは伝統的なロシアが日本の安全保障にいかに大きな潜在的脅威かということを知ってか知らずか、国策の重要要素として見なさないような方向を取ろうとしたのが統制派なのです。
ですから、従来の統制派・皇道派理解、昭和史の理解がいかにねじ曲がっていたかということです。これが一つまず、今この問題を論じるときに大事な視点です。
●グローバリズムの中でも自国のことを考えていた列強
二つ目の大事な視点としての意味は、当時の総力戦体制や新しい高度国防国家という考えは、何も日本に限ったことではない問題意識だということです。どこの国もそうではないかと思っていたのです。
1920年代の世界は、ある種、グローバリゼーションが進んで、経済も金解禁などが行われて、非常に国境のない経済が進んでいくかのように見えていました。ですから、これからはそういう時代で軍縮と国際連盟を中心に日本の前途が構想されなければならず、軍隊は極力減らすべきだという軍縮の議論に簡単に日本のインテリたち、政治家たちは乗っかるわけです。流行の理論ですが、これが1920年代のグローバリズムです。
欧米諸国がその流れに沿って政治経済の動きを進めていったことは間違いありません。しかし、彼らの中にあったのは、このままで歴史は一直線に展開す...