●日本人はヨーロッパ人より清潔!?
―― 皆様、こんにちは。本日は本村凌二先生に「江戸とローマ」の講義をいただきたいと思っています。本日は「耐えられる腐臭」、下水道、それから糞尿処理のお話ということで、そのお話をいただきたいと思います。下水道という部分での江戸とローマの共通点というのは、どういうところにあったのでしょうか。
本村 世界史全体を見ると、現代はともかく、それ以前の時代において(両者には)非常にいい面があったのではないかというところです。私が最初にヨーロッパへ行ったのは40年以上前になります。当時は日本のほうが不潔だという話を聞いていましたが、外国では意外にそうでもない。もちろん日本より早く水洗便所ができてはいましたが、例えばトイレに行った男性がその後ちゃんと水で洗っているかというと、あまり洗っていない。
―― それは、手を、ということですか。
本村 そうです。そういう場面を何度も見かけました。私は競馬が好きですから、(外国でも)競馬場に出かけます。非常に混んでいるときなど、(トイレにも)人がたくさん殺到する場面に出会いましたが、日本人ほどまめに(手洗いを)やっていないのに気づきました。
歴史的にさかのぼっても、例えばつい近代になってからのヴェルサイユ宮殿にはトイレが一つもなかったようなことが、ごく当たり前にありました。広い敷地があるから野外で済ませればいいという(のが彼らの考えでした)が、どこで誰がやっているのか分からない状況でした。
そういうことの処理について、どうも日本人のほうがどちらかというと清潔感があるのではないかという感じです。
●水も下水も自分で運んだパリのアパルトマン
本村 また、ヴェルサイユ宮殿にさえトイレがなかったというだけではない問題が(ヨーロッパには)ありました。本当にきちんとしたトイレがない中、各家は何階もある構造で、今のような下水施設がきちんと整備されていない。つい100年ぐらい前までは、そういうものは整っていなかったのです。だから、アパートやマンションのような建物では、一番下(の家賃)が一番高かった。一番下であればすぐに処理できるけれども、上に行けば行くほど、そういうものを持って降りてこなければいけなかったからです(笑)。
―― 当時のことですから、全部階段で降りなければいけないということですね。
本村 そうです。それから、上水のほうの水もそうで、今のような水道設備があるわけではないから、それなりのところまで行って水を汲んで、また上まで昇っていかなければいけない。だから、一階の家賃が高いということがありました。
下水処理においても、溜めておいたものをどこかきちんとしたところへ流せばいいのですが、どこかそこらの道路に垂れ流しにしたりしてしまう。ひどい場合は階上から下に持っていくのも大変だということで、上から流してしまうとか…。
―― 窓からザーッと。
本村 窓からやるというような、日本ではちょっと考えられないようなことが平気で行われていたといいます。自分がヨーロッパにいたときの周囲から感じた清潔感などを考えると、そういうことはあってもおかしくないことだと思います。今でこそ、そこまではしないけれども、つい200~300年前までならあり得ただろうと。
●日本の「肥溜め」システムに驚いた近代ヨーロッパ
本村 近代では、上水についても同じことがいえます。日本では江戸時代に玉川上水や神田上水のようなものができ、非常にきれいな水をその泉(水源)から持ってきていました。また、以前にお話ししたように、古代ローマにも水道橋が十数本もあって、それがローマの市街地に集まってくる。ローマだけではなく、ポンペイのような地方都市にもそういうものがちゃんと集まって、整っていたわけです。
そういう状況であり、19世紀初め頃の上水道の完備、きれいな水を持ってくるシステムを考えると、江戸が世界でダントツでした。パリやロンドンの場合、どこから水を持ってくるかというと、パリならセーヌ川の上流のほうから持ってくるし、ロンドンならテムズ川の上流のほうから持ってくる。ただ、上流といっても、さらに上のほうに行くと何をやっているのか分からないわけで、せいぜいそれくらいで済ましていたということです。
日本の場合、飲み水はわざわざ20キロほどある水路を引いてやってきたことがあり、清潔感が感じられる。下水についても、18~19世紀の段階で比較すれば、やはり日本は世界でもトップクラスか、もしかすると一番だったかもしれません。
というのは、幕末から明治維新の頃にかけて日本を訪れた欧米の人たちが驚いたのが「日本の肥溜め」だったからです。 今の若い方はご覧になったことがないでしょうが、われわれ高齢者が小さい時には(珍しくな...