●「ショック療法」は本当にフリードマンの経済学の核心なのか
―― 一方のフリードマンも、実は自分の経済理論の中で「ショック」について言及したことはあるということなのですが、どういう文脈でフリードマンは言及したのでしょう。
柿埜 クラインは、「ショック療法」という言葉をフリードマンが使っているといいました。「これがフリードマンの経済学の核心だ」というようなことをいうのです。だから、『ショック・ドクトリン』に説得される方はあまり読まないかもしれないのですが、フリードマンの『資本主義と自由』などを一度真面目に読んでみてください。“ショック・ドクトリン”がフリードマンの経済学の中心として、そこから浮かび上がってきますか、ということです。
フリードマンによって書かれた経済理論の本の、どれを読んでもそんなことはまったくないはずです。それは当たり前で、フリードマンは「ショック療法」などという言葉を使ったことがほとんどないからです。実際、フリードマンが「ショック療法」という言葉を使った文脈というのは非常に限られたものです。
先ほど(前回)少し言いましたが、チリのピノチェトが独裁をした時に、フリードマンが彼にアドバイスしたということをクラインは言うわけです。現実には、フリードマンは1975年にチリに6日間滞在して、その6日間の間に45分間ピノチェトと対談しました。そして、ピノチェトにどうやったらインフレを抑えられるかということについて覚書を渡します。これが全てです。
45分間、政治家と話したことがあるといって、それが黒幕でその顧問だとかいう話になるのですが、顧問だったことは一度もありません。
フリードマンは、チリの大学から名誉学位を授与されるという話なども全部断っています。「私は独裁者を支持しない」というのがその理由です。独裁者から金を受け取らないと言って、フリードマンはすぐ断っていますし、しかもチリに滞在したときにチリの大学で講演しているのですが、その講演でチリの人々に、「自由を奪われて今、恐ろしい体制の下にあります」というようにはっきり言っています。相当勇気のある発言をしているのです。対外的にもそのように人権侵害を糾弾しています。
クラインは非常にあっさりとそれを、「言い訳のようなものだ」とごまかすのですが、フリードマンは絶対に、ピノチェトの独裁体制を肯定などしていないのです。
●フリードマンの「ショック療法」の議論はいかにして曲解されたか
柿埜 ただ、ピノチェトに助言した中で、フリードマンが「ショック」という言葉を使っているということに、クラインはいかにもですが食いつくわけです。片言隻句を取り出して自分に都合のいい話を作るというのは、クラインのお得意のやり方です。
フリードマンがチリにショック療法を強要したというのです。クラインは民営化や自由貿易が経済を悪くすると思っているのです。市場経済をやるというのは経済を悪くすると。社会主義っぽい大きな政府のほうがうまくいくと思っている。だから、それを全部やめて、そういうことをやるのは、すごく経済を悪くすると信じている。貧乏な人からモノを奪うことだと思っているわけです。そして、そういうものを、いきなりやるのがショック療法だというのが、クラインの考えなのです。
クラインは、「フリードマンはショックという言葉を3回使ってその重要性を強調した」「漸進的やり方ではダメなのです」と言っている、というわけです。
さらに「そのロジックは1940年代から50年代にかけて精神科医たちが、電気ショック療法を大量に使い始めたときのそれと驚くほど類似している」と。
驚くほど類似している? 何が? です。フリードマンはたしかにショックという言葉を3回使っています。ではその3回使った場所で本当に何を言っているか、です。
実際にはフリードマンは、「ショック療法」という言葉を、「インフレを抑えるスピードを速いやり方でやるか、それともゆっくり抑えるか」という文脈でしか使っていません。経済改革とか、自由化や民営化の話をしているわけではないのです。
フリードマンの実際の議論がどういう文脈でいっているかというと、彼はこういっています。
〈・財政赤字の削減はインフレを終わらせる不可欠な前提条件です。より答えが明確でない問題はどれだけ早くインフレを終わらせるべきかです。
・インフレ率が年に10パーセント前後の米国のような国であれば、私はインフレを2,3年かけて終わらせる漸進的やり方を支持するでしょう。しかし、インフレ率が月に10~20パーセントで荒れ狂っているチリには、漸進的やり方ではだめだと思います。それは患者が死...