●「江戸三千両」を担う魚河岸に見る江戸時代の魚事情
堀口 せっかくなので、フィッシュマーケットの様子もじっくり見ていきたいと思います。
―― そうですね。非常ににぎやかな絵なので、本当に飽きない絵ですよね。
堀口 はい。江戸湾とか房総沖で獲れた鮮魚が、今まさにこの小型の高速船である「押送船(おしおくりぶね)」という船で魚河岸に運ばれてきました。お魚は「板舟(いたぶね)」と呼ばれる板の上に並べられて売買されておりました。種類を見るとタイとかヒラメとか、もしくはカレイかなというようなお魚が並んでおります。こういう白身のさっぱりしたお魚が江戸っ子にはとくに好まれたというわけです。
―― 江戸っ子というと、何かそういう雰囲気になるのでしょうね。
堀口 そうですね。さっぱりした淡白なものを好みます。反対に人気がなかったのがマグロです(笑)。この道端にかなり乱雑に並べられている様子からもあまり人気がなさそうだということが窺えます。
―― 今ですと、豊洲とかでもマグロの競りが大人気ですが。
堀口 マグロにいくら値が付いたというのが話題になるぐらいですが、マグロは別名シビと言いまして、これが亡くなる日の「死日」につながるので縁起が悪いということで、徳川将軍家の食膳に上ることは一切なかったのです。将軍は食べたことがないお魚でした。
―― 案外、お武家の方はそういうことを気にしますよね。
堀口 やはり気にしますね。マグロは脂が多いので、冷蔵庫がない当時、保存が利かないので扱いづらかったという理由もあったとは思います。ただ、幕末、江戸時代後期にマグロがすごくたくさん獲れた年がありました。これをなんとか食べようということで、お醤油でヅケにするとか、そういう方法が考案されて、やっと寿司ネタなどとして市民権を得るようになったのがマグロだったということです。
―― それが描かれているのも面白いですね。
堀口 そうですね。やはりお魚の格差がしっかり絵の中に描かれております。
―― はい。
堀口 俗に「江戸三千両」という言葉があります。日に1000両、1両が10万円と簡単に考えると、およそ1億円売り上げる場所が江戸には3カ所あるという意味合いの言葉です。
―― 日商が1億円と。
堀口 はい。1つは吉原で、1つは歌舞伎の芝居町、そしてもう1つがこの日本橋の魚河岸だったということで、まさに江戸のにぎわいの象徴的な場所がこの日本橋魚河岸だったのだろうということが想像できます。
―― そうですね。日商1億円ということですが、この絵を見ながら、音とか声なども想像しながら見ていくと、先ほども言いましたが、いろいろなドラマが描けそうですね。
堀口 本当にそうですね。現在の日本橋にこれから行くわけなのですが、行くときもこのあたりを思い浮かべながら現地を歩くと。
―― そうですよね。今の日本橋ですと、ややこういう雰囲気ではないのかもしれないですね。
堀口 そうですね。車がビュービュー飛び交い、というような。
―― そうですし、こういう「いてっ」という、意気がいいというよりは、もう少しお上品な雰囲気のところではございます。
堀口 そうなのですよね。
―― でも、元々こういうような雰囲気もあったということで、ぜひ今の日本橋も見てみたいと思います。
●老舗が伝える魚河岸の面影
―― はい、堀口さん。いよいよ現在の日本橋にやってきました。
堀口 やって参りました。
―― ここは日本橋のどちらになるのでしょうか。
堀口 ちょうど橋のたもとにわれわれはいるのですが、たもとがちょっとした広場になっておりまして、こちらに竜宮城の乙姫さまがいらっしゃって、「乙姫広場」と呼ばれている場所です。ちょうどここにかつて魚市がありました。
―― 日本橋魚市場発祥の地と。
堀口 そうなのです。石碑もありますし、解説板もそちらにあります。
―― ございますね。
堀口 「大正の関東大震災で市場が移転するまでは、ここに魚河岸があったのだよ」というようなことが書かれています。
―― こちらから築地に行くかたちになるのでしょうか。
堀口 そうです。魚市としては、大正の震災の後に築地に移転することになります。なので、当時魚河岸があったということで、この界隈にはけっこう鰹節を扱うお店がありました。
―― 今も老舗のお店がございますよね。
堀口 そうなのです。練り物やはんぺんの老舗さんとかがあって、確かにかつてここに魚河岸があったのだということを感じられるポイントかと思います。
―― これは先ほど見た絵を思...