●名目、実質為替レートで振り返る「50年ぶりの円安」に至るまで
さて、次のページです。最初(第1話)に、キリのいい架空のビッグマック価格をベースに考え方を整理しましたが、それと同じやり方で、実際の数値を基に振り返っていきます。
まず名目為替ですが、円高のピークは左から1、2列目のドル円レート、あるいは名目実効レートのグレーの欄で、2011年がピークです。一方、実質為替レートの円高ピークは、その隣の列で、1995年であることが確認できます。「100」となっているところです。
ここで、何度も出てくる1995年以降を考えてみれば、1995年から2011年の間は、名目為替が円高になる以上に、日本より海外の物価の上がり方が大きくなりました。
下段の青い行の物価指数の青囲みの部分を見てください。この間、日本はマイナス1.46パーセント、一方、海外はプラス60.2パーセントです。これにより、取引されている名目為替レートでは円高になったのに、実質的には円の価値は下落しました。
次に、2011年から2023年の間は、名目為替レートが大きく円安になり、さらに物価上昇率も海外のほうが大きく、実質的な円の価値の下落はさらに進みました。その結果、真ん中の赤囲みにあるように、実質実効為替レート指数は1995年の半分以下の40.69となりました。そしてこれが、1971年の38.22とほぼ同じ、つまり50年前とほぼ同じ水準の円安ということです。
●「50年ぶりの円安」の根底にある産業構造の変化
次のページをご覧ください。それではなぜ1995年以降、実質為替レート指数は円安に転じたのでしょうか。そして、なぜ足許では、購買力平価から乖離した円安水準になっているのでしょうか。これらについて考えたいと思います。
まず1995年から2011年ですが、この間、中国の台頭やグローバル化により、日本の輸出競争力が相対的に低下しました。日本の製品は高品質でしたが、中国をはじめとしたアジア諸国の製品も急速に品質が向上しました。また、アジア通貨危機以降、これらの国々の通貨は割安になっていたため、価格上の競争力もありました。
かかる中、輸出材の価格を下げ競争力を確保する企業努力が日本にはあったように思います。しかし、その裏には、人件費や調達財の値下げ交渉など、コストカット型のビジネスモデルが広がっていた可能性があります。また、国内ではバブル崩壊、金融危機の発生から需要が高まらず、この面からも物価が上がりませんでした。
こうしたことから、頑張って輸出を続け、その結果、円高が維持されましたが、内外の物価上昇率の差が激しく、実質的な円の価値は下落し始めていました。
そして下段になりますが、リーマンショックや2011年の東日本大震災において、企業が海外投資を停止する動きや、国内の損失を補うために日本国内に資金を回帰させる動きが加わり、名目為替レートとしての円高はピークを迎えます。
一方、その動きが一段落すると、グローバル企業はビジネスモデルの大きな転換を余儀なくされ、海外へ生産拠点を移転しました。さらに、海外で稼いだ外貨を外貨のまま再投資する動きが活発になりました。
そして、折しもそのタイミングでアベノミクスが開始されました。大規模緩和で円安政策を行い輸出企業の競争力は高まるも、ビジネスモデルの転換は不可逆的で、国内回帰しませんでした。少子高齢化が進み、生産拠点を戻しても人材を確保できないことも要因だと思います。名目為替レートが円安になり、表面的には輸出競争力が向上していますが、それを生かす人的資本が日本国内に不足している状況といえましょう(熊本では台湾の半導体企業が工場を建設していますが、彼らが求める24時間での建設体制や技術レベルに、日本は対応できていないとも聞きます)。
こうした中、それでも人口全体が大きく減少しているわけではないため、資源輸入量は変わらず、エネルギー高の分だけ、日本の支払い額は増えています。こうして輸出不振が続く中、資源輸入国である日本の通貨(円)の価値は低下しています。
こうなると、需給面から、購買力平価対比で円安の状況が放置され、継続する可能性があります。そして、価格上の輸出競争力向上を生かせないとすると、購買力低下のほうが問題になるという構図なのだと理解しています。
日米の金利差などの動向も大変重要な要素ですが、このような需給構造、産業構造の変化が根底にあることは指摘したいと思います。
以上が、為替レートを物価の観点も含めて考え、日本の競争力や購買力を考察した推論です。
●対外債権に活路を見いだすべき!? 日本の現実と課題
最...