●田中角栄は弱者への思いやり、格差社会の痛みを忘れなかった人
田中角栄という人について、『未完の敗者』であるというタイトルで本を書いたわけですけれども、現在の安倍晋三首相と田中角栄のどこが違うのか、ちょっと比較するのは田中角栄にかわいそうな感じもします。
田中角栄という人は、ご承知のように、いわゆる大学には行っていません。世間という大学を出た人です。ただ、世間という大学を出ても、それを踏み台にして出ていく太閤秀吉型の人と、そうではなくて、弱者に対する思いやりを終生失わない人もいるのです。田中角栄という人はいろいろなことを言われても、私はやはり弱者への思いやり、そして、格差社会の痛みというものを忘れなかった人だと思います。
政治家の役割とは、端的に言えば、格差を少なくするというか、できればなくすことと、戦争をしないことだと思うのです。その二つについて、安倍晋三と田中角栄は全く対照的であると思います。
●田中角栄は敵も認められる幅広さを持っていた
これまで本メディアでお話ししてきた自民党の主流派の流れというのは、吉田茂、池田勇人と、そのような流れをたどる、いわば保守本流で、田中角栄まで含めて、ハト派でした。
一方、岸信介、中曽根康弘、あるいは、小泉純一郎というのは、保守傍流だったのですが、そのタカ派の清和会の流れが全面に出てきてしまって、安倍晋三のような、ちょっと首相としてはいかがかと思われる人まで、その流れの中で出てきてしまったということだと思います。
田中角栄の魅力というのは、いろいろありますけれども、人間の幅ということと同時に、田中角栄から見て、敵味方といいますか、敵も敵として存在している、生きているということを認められる幅広さを持っていたというところです。
それは、自ら、いわば成り上がっていく過程で、社会の底辺の人たちを見たということかもしれませんけれども、そういうところが、いわば安倍晋三と全く対照的で、私は、極端に言えば、付属の小学校、中学校と、付属のそういうところを上がってきた人は、やはり政治家になってはいけないのではないか、まして、首相になってはいけないのではないかと思うのです。つまり、貧乏や格差というものを実体験できないのです。頭の中ではそれが分かるかもしれないけれども、実体験として、A君の貧乏、B君の痛み、という形で体験できないのです。
そうすると、安倍晋三のように、「東京はアンダーコントロールされている」ということは、「福島はアンダーコントロールされていない」という言い方ですよね。それは、福島を切り捨てたりするようなことにつながっていきます。
●田中角栄は財界とのつながりが薄く、安倍晋三は財界の声しか聞いていない
そしてまた、田中角栄という人は、成り上がる過程で財界とのつながりというものが本当に薄かった人です。だから、財界の言うことを聞くというようにもなかなかならなかったわけです。
しかし、福田赳夫という人の流れをくむ安倍晋三という人は、やはり財界の言うことを聞くのが政治だと思っています。法人税の引き下げと消費税を上げるということをセットでやってくる。そうすれば、個人消費が冷え込むというのは、経済の根幹、出発点としては一番おかしい政策だと思いますけれども、そういうことを平気でやるというのは、やはり財界の声しか聞いていない。財界、それも旧財界ですね、そういう人の声しか聞いていないということなのだろうと思います。
●田中角栄は地方と都市の格差に強烈な問題意識を持っていた
今、広がっているのは、やはり都市と地方の格差でもありますし、その格差が、地方に根を置く政治家でしか分からない形で出てきています。小泉・竹中流の新自由主義が、地方を疲弊させているわけですけれども、その小泉、安倍と続くその新自由主義路線、いわば競争至上主義路線は、確実に地方を疲弊させているわけですね。
田中角栄は新潟の出身で、まさに雪に閉ざされた新潟を何とかしたいということが政治の出発点にありました。地方と都市の格差に強烈な問題意識を持っていたのです。日本列島改造論は、それによって地価の高騰を招いたとか、いろいろな批判はもちろんありますし、そういう実態もあったかと思いますけれども、地方を何とかしなければ日本はやはり駄目になるということを、その政治の出発点に置いていたことでは、選挙区は地方だけれども、ほとんど生活の実態は東京にあるというボンボン政治家には、やはり分からないものがあるのだろうと思います。
●田中角栄は骨のある政治家を重用
そして、田中角栄を慕ったといいますか、田中角栄が重用した政治家に、後藤田正晴という人がいます。その後藤田さんは、中曽根内閣の官房長官になり、中曽根さ...