●二つのアキレス腱をめぐり、秘書・麓邦明が田中角栄の許を去った
田中角栄という人が、福田赳夫と争って首相の座を手に入れる直前、田中のアキレス腱と言われたものがいろいろあった。
当時、田中角栄の秘書に麓邦明という人がいました。この人は、共同通信の記者から田中の秘書となった人で、その弟分に有名な早坂茂三という人がいたわけです。東京タイムズの記者から秘書になった人です。この首相争いの最後の段階で、麓さんと早坂さんが会って、二つのアキレス腱を何とかしたいと話しました。
一つは、小佐野賢治という、いわば政商、あるいは怪商。この刎頸(ふんけい)の友達と言われる小佐野との関係を何とかしてくださいと、オヤジである田中角栄に二人が迫るわけです。そういう時に、田中角栄はかんらかんらと笑って、「小佐野はお前たちの考えているような人ではない。ケチで、舌もなかなかよう出さない人だ。だから、お前たちが心配するには及ばない」と言った。
次に、佐藤昭という、いわば秘書であって愛人であるこのアキレス腱を、必ず政敵はスキャンダルとして打ってくるわけですから、そこを何とかしてくださいと迫った。田中の事務所の、いわばお金も支配していた佐藤昭を切ってくれということです。それに対して田中は、「ちょっと待て、その話はしばらく俺に考えさせてくれ」と答えた。1週間ぐらい経った後で、「佐藤を切ることはできない」と言うのです。
その前にそれを田中角栄に言う時点で、麓さんと早坂さんは辞表を出して言っているわけですね。田中は、「これは下げろ」と言ったのですが、佐藤昭を切ることはできないと言われた時に、麓さんは、その後また辞表を改めて出して受け取ってもらうわけです。早坂さんには、「二人が辞めたら、とんでもないことになる」ということで、「お前は辞めるな」と言います。
たしか麓さんはその後、いわゆる池田勇人の宏池会で事務局長になります。池田勇人から田中の政治的な無二の友達である大平正芳に流れる宏池会で、宮澤喜一、加藤紘一と続くわけですけども、その宏池会の事務局長になるわけです。
●病に倒れた麓邦明を見舞った田中角栄の想い
その麓さんが田中のもとを去った後、病気になったのです。大平内閣発足後、間もなく麓が心筋梗塞に倒れるや、田中は全ての日程をキャンセルして、麓が大手術を受ける浦和の病院に駆けつけ、院長、執刀医、総婦長など、多くの関係者に深々と頭を下げて、「まだあの男を死なせるわけにはいかないんです。助けてください」と頼んだ。自分にいわば捍言(かんげん)して自分のもとを去った人に対して、田中はそこまで気を使うわけです。
病室を見舞った田中は、麓の両手を握って、「フモちゃん、かならず治る、がんばれ」と大きな声で励ました。私は、本の中に、「田中と麓、両者の目に涙が浮かんでいたというが、不覚にもこの場面を書きながら、私も泣いている」なんて、ちょっとセンチなことを書いてしまったわけです。
「それから2年後、今度は田中が脳梗塞に倒れる。麓は何度となく東京逓信病院に足を運び、田中の快癒を願った。ある日、夜の12時近く、霊験あらたかという女の神様を連れてきた麓は、静まり返った角栄の病室のそばで、一心不乱に祈り続けた。その姿を私は忘れない」と書いているわけです。
だから、田中角栄という人は、自分に欠けているものは何なのかということを、ちゃんと分かっていた人なのですね。
●加藤紘一は側近を使えなかった
私と近いということで、同郷ということもあって、ちょっと比較することを許してもらえば、加藤紘一さんは、自分は東大卒で優秀であるという考えから、側近を使えなかった。いわゆる信じきれない。俺の方が何でもできるということで、いろんなことに口出ししてしまった。例えば、野中広務さんでも、古賀誠さんでも、「加藤内閣誕生のためには」と思っていた人を、自分の手元に引きつけておくことができなかったわけですね。
だから、自分が何でもできると思っているのではなく、自分に欠けているものは何かを分かっていて、そして、それをその人に託す。だから、人間はやはり信じられて動くものですから、その人間が人間を信ずるということの深さといいますか、そういうものをこのエピソードは表しているのだろうと思います。
●佐藤昭は田中角栄の本質をよく知っていた
そして、それはまた、麓さんや早坂さんが「遠ざけよ」と言った佐藤昭との関係でも、やはり発揮されたということです。
さすがに佐藤昭という人も、すごい人だったのだなと思います。「佐藤栄作政権におけるあなたのやった役目は、田中政権では誰がやるのか」。つまり、汚れ役ですね。そう聞くと、田中は、「いないんだよな、俺がやるしかない」と言った。
また...