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「三種の神器」ブームの後に来た最大の危機…その予兆とは

松下幸之助の危機克服~熱海会談の真実(2)最大の危機と予兆

佐久間曻二
元松下電器産業副社長/WOWOW名誉相談役/ぴあ終身相談役
概要・テキスト
松下幸之助
画像提供:公益財団法人松下政経塾
佐久間氏は自身の苦境を乗り越えるにあたり、松下幸之助の「最大の危機」を参考にしたという。それは1964年7月、松下関係者と販売会社・代理店のトップ200名を集めて行われた「熱海会談」である。(2023年12月1日開催日本ビジネス協会JBCインタラクティブセミナー講演「私の中の松下幸之助」より、全4話中第2話)
時間:10:36
収録日:2023/12/01
追加日:2024/06/17
キーワード:
≪全文≫

●60年のトップ生活で最も心血を注いだ瞬間は『熱海会談』


 最初の話はそのくらいにして、二つ目です。私はWOWOWの社長になるように推薦されてお引き受けしたわけですが、経営の中身はまったく知らないで引き受けたのです。

 ところが中を見てみたら、これは大変だ。当時の売上は346億円ですが、単年度の赤字が200億円、累損が800億円ございまして、これを「なんとかせい」ということです。

 株主からは「もう、この会社は潰してしまえ」というようなことまで言われましたが、中に入った興銀が、「将来性のある会社だからなんとかしよう」と言い出して、私が選ばれたということです。

 この話は別にいたしまして、その時に私は、「幸之助さんならどうするだろう」と考えました。本も読みましたけれど、再建のシナリオのようなことは、当然書かれていません。

 そこで思ったのは、幸之助さんは60年間経営者としてやっておられたのだから、最大の危機というものがあったのではないか。その最大の危機をどうやって乗り越えられたのか。それを調べれば、何かヒントが得られるのではないかと思って、調べてみました。

 そうすると、こういうふうに言っておられました。「60年のトップ生活の中で、最も心血を注いだ瞬間は?」の問いに対して、「それは『熱海会談』。あれは大きなヤマだった」と言っておられたのです。

 つまり「熱海会談」というものが、相談役にとって最大の経営の危機であったということであり、同時にそれをうまく克服したというサクセスストーリーにもつながるわけです。 これを調べればヒントが生まれるのではないかと思って、調べてみました。


●熱海に集結した200名の関係者


 古い話ですが、昭和39(1964)年7月9日~11日の3日間、熱海のニューフジヤホテルに松下側の社長以下幹部全員と、松下の電化製品を売っている全国の卸屋さんの代表者200名が集まりました。その3日間に行われたのは、幸之助さんの言葉によると「共同診断」です。「今、松下グループは病気にかかっている。その病状を松下と卸屋さんとの間で共同診断しよう。そのために200名の方に集まっていただいた」ということで、文字通り喧喧諤諤の会議になりました。

 もちろん相談役(当時は会長)が一方的に話すわけではなく、むしろ聞き役に回る。しかし、単純な聞き役ではなく、論駁(ろんばく)をする。そういう...
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