●「差別か、笑いか」の線引きが厳しい方向へ進んでいる時代
―― 今、いろいろとお話を伺ってきて、世界でジョークがどう受け止められているのか、どう日々使われているのかですが、それはほんとうに、例えば諷刺の精神であったりとか、批判を表立ってできないからみんなで笑い飛ばして、どうせ独裁者などというのは、普通は自分の力で倒せるわけでもないので、それならばせめて笑わなければ、という感じなのかなというところもあります。
例えば、先生は世界の各地に行かれていて、日本人としてはどのように、そういう世界にうまく入っていけばいいものですか。
早坂 ジョークということ自体は、日本人は前に笑いに厳しいという話もしましたが、ちょっと肩に力が入りすぎているところがあるので、アメリカに行ったら何かジョークを言わなければいけないとかあります。
―― そのようなプレッシャーを感じるケースもあるでしょうね。
早坂 ありますね。理解しなければいけないということは。ちょっと真面目に考えすぎているところもありますので、もっとそこは、変に力を入れずにというのが一番大事かなと思います。普通に、ある程度の英語が分かり、やりとりできるレベルであれば、普通の会話の中で笑いになるようなちょっとしたひと言でもいいですし。そのようなことは、本来、日本人は日本語でいつもやっていることなので、それをやればいいと思います。
そのような笑いがあると、1つの潤滑油になるじゃないですか、会話の。「アイスブレーク」という言葉もありますが、会話とか演説の中で、冷たい、笑いがない時間ということが続いて、それを壊すというのは、すごく海外の人はうまいので、そういうものを学びながら日本人もやっていくと、日本人は本来笑いのセンスはすごくいい人が多いと思うので、ウケると思いますよ、日本人のジョークも。
―― そういうことでしょうね。その生真面目ぶりが、またそれはそれでというところになるのかもしれません。前の「不良品の設計図をよこせ」みたいなことですね。
早坂 日本人が真面目すぎるというのは1つのネタになっていますので、「日本人に金曜日にジョークをいうと、月曜日に笑う」などと言われたりするのです(笑)。
―― ありがちですね。
早坂 しかし、今の日本人、最近の子はそうでもないです。英語も上手ですし、そこまで欧米に対して、何かコン...