●平和の宗教であり戦の宗教でもあるイスラム
ここまでお話しした中東の情勢、テロリズムというもの、日本のそれらに対する認識、といったことを踏まえて、さらに話を進めますと、ISにあのようなことを許している根拠は何なのかということです。
時間がないので全て語るわけにはいきませんが、一つには、イスラムの教えが、聖典「コーラン」と預言者ムハンマドすなわち神の啓示を受けたイスラムをこの世界に伝えた人間たちの最初の言葉をまとめた言行録「ハディース」にまとめられていることにあります。すなわち、そのどこをとるかによって、イスラムは平和の宗教にもなるし、ムハンマド自身が戦いを指導したように戦の宗教、あるいは暴力を必ずしも否定しないものにも読めるようになるのです。「イスラムは平和の宗教だ」と言うだけではイスラムを語ったことにはなりません。それはどの部分をとるかによって、イスラムは暴力の宗教にもなるという理屈の一番悪い側面が、阻害された形で出たのがISなのです。
●イスラムの特徴を巧みに利用するIS
それでは、なぜそういった側面が出てくるのかというと、イスラムが出来た時、イスラムというムハンマドが組織した教団、共同体は、実は同時に行政や徴税、軍事も束ねる国家と重なっていたということなのです。信仰共同体がそのまま国家である。これが7世紀の発足時におけるイスラムの特徴でありました。これが「ウンマ(信者共同体)」というものであり、ウンマが発展したものがアラビア語では〝ad-Dawlah al-'Islāmiyyah〟、直訳すると、今回の講演の最初にお話しした「イスラム国家」、つまり「イスラム国」ということなのです。
ISが自称する「イスラム国」はこういう点で、イスラムとは何かということに関するある面を、非常にシンボリックに利用して人々に対して自分たちの組織名を浸透させ、さらにその組織名を映像や音声とともにプロパガンダすることで、あたかも自分たちのイスラム国がイスラムであるかのような錯覚を起させ、そうした幻想を振りまいたのです。そのことによって日本をはじめとした、欧米の一般市民が「イスラム国とはイスラムなのだ」と言って、「うちの子どもはイスラム国と敵対していません。イスラム国の子どもたちがいれば皆、私の家でお預かりします」と、日本でも後藤健二さんの母上のような人が出てくるのです。これは正にイスラム国がイスラムと同じようにアイデンティカルに同一化しようとしているということの結果として、それが人々を間違った方向に導いていく例だったのだなと思って私は見ていました。
●人質事件で失墜した「カリフ国家」への期待
こういう中で申しますと、昨年の2014年6月29日、私はトルコにいて、一週間、東部のアナトリアの山の中の2700メートルという一番高い山を登って現地調査に行ってきましたが、山から地上に降りてアンカラに行った時、ホテルに入ってイスラム国カリフ宣言を目にして、「これはすごいことをしたな」と思いました。私は同時代的に、中東でそれを見たのです。
カリフ国家をつくっている最中は、私は山の中に入っていたので情報から遮断されていたのですが、一番驚いたのは、ともかくアラブや中東を超えてグローバルに広がろうとするイスラム国の宇宙論的コスモス的なイメージを強調したネーミングが、カリフ国家だったということです。このネーミングにかなりの人たちが囚われて、期待したのです。もう一つ結論的に言うと、この期待感が、今回の余りにもむごい日本人二人の虐殺や、ヨルダン人の空軍中尉の焼殺によってかなり吹っ飛んでしまいました。
●ISのターニングポイント2015年1月
ですから歴史の中においた場合、運命の分かれ道は、一つは昨年の2014年6月だったとすれば、イスラム国にとっては今年の2015年1月は確実にターニングポイントになったと思うのです。つまり、イスラム国に対するスンナ派の市民の感情は、一年もたなかったということです。スンナ派市民の間には、明示的には言いませんが、一種のユーフォリア(幸福感)があったのです。
そういう点に見られるように、イスラムのどこを選ぶのか、アラブ中東の受けている犠牲のどこを見るかによって、世論の形成が違ってくる。しかしながら、いくら何でも殺害にまで及んだ今回はひどいではないか、となってきた。その根拠は、日本を愛している中東市民にとって、シリアのためにやってきている無実のジャーナリストになぜこういうことをするのかということです。これは大事な点です。
●イスラムでは許しがたい火刑を断行したIS
もう一つ注目すべきなのは、火刑にするということです。イスラム自体は土葬なのです。日本のように火葬ではない。なぜ火葬ではないかというと...