●中東と国際社会は、今後どの方向を目指すべきか
―― 中東のことは全く分からないのですが、まずイラン革命から始まり、イラン・イラク戦争があった。そこにアメリカが肩入れすることがサッダーム・フセインを強くし、また自由化しようということでアルカイーダが出てきた。ブッシュ政権の時は、自由や民主主義を反映させることが解決につながると思ったわけですが、先ほどの自由と秩序の話があったように、何か一つを良くしようとすると他に影響を及ぼしてしまう。さらに今後を考えても、仮に民主主義だといっても、民主主義で選ばれた人たちがどういう政権をつくるかは未知数だし、サウジアラビアのように王政の国もあります。国際社会がずっとさまざまに介入するたびに、イスラムはいろいろな問題を生んでいる。今後の見通しはどういう方向に進むべきで、そのために国際社会はどういう方向性を持って、イスラムに対して対峙していくべきなのでしょうか。
山内 国際社会の標準値からすると、実はアメリカも歴史的にみてかなり変わったところがあります。まず、アメリカはわれわれの共同の国際標準をつくってきています。しかし、アメリカの論理が世界全部を満足させているかというと、そうはなっていない。なぜならば、アメリカ自身が一つの世界だからです。これは中国にも言えることですが、自分たちが世界だと思っている国民や歴史は、他者との共存や妥協は難しい。同じことがイスラムにも言えます。
中国やアメリカには、一つのまとまりとしての「国民」があります。多民族国家であることを前提として、もう一つの合衆国あるいは人民共和国という「国家の枠組み」があります。イスラムが厄介なのは、7世紀にはそのような一つの大きな共同体=「国家」であったこと。それにもかかわらず、1648年のウェストファリア体制以降の論理によって、国々が分裂して国民国家の単位と見なされたことです。西欧を基本としてつくられた国際法と国際政治の論理からは一番はみ出していく構図を持っているのがイスラムなので、「世界」との共存がなかなか難しいのです。
●「たしなみ」は対立する論理の上位概念になる?
山内 考えられることとしては、イスラム的な論理、中国的な論理、アメリカ的ないしアングロサクソンがつくってきた論理が共存していくような、もう一つ上位の概念をつくっていけたらいいのですが、なかな...