●豪州演説に垣間見る安倍談話の方向性
若宮 では、安倍談話がどのような内容になるのか、一つの参考として、安倍晋三さんが考えているのは、こういうものではなかろうかということをうかがわせるものがあるのです。
安倍さんは、去年(2014年)の7月にオーストラリアに行き、キャンベラの国会議事堂で演説をしたのですが、その冒頭、このように言っているのです。
「皆様、戦後を、それ以前の時代に対する痛切な反省とともに始めた日本人は、平和をひたぶるに、ただひたぶるに願って、今日まで歩んできました。20世紀の惨禍を、二度と繰り返させまい。日本が立てた戦後の誓いはいまに生き、今後も変わるところがなく、かつその点に、一切疑問の余地はありません」
こう始めるのです。そして、その後です。これはもちろん、オーストラリアのことも念頭に言っているのですが、戦後、欧米を中心とした戦勝国が差し伸べてくれた寛容の精神によって、日本が再生できたことに対してお礼を述べているのです。
そして、その後、日豪の関係にも触れ、「同盟国として、アメリカと力を合わせて、同じ価値観で、パートナーとして、これからも密接に連携していきたい」というような演説しています。
後段は、明らかに中国を意識したものだということは分かると思いますが、問題は前段です。多分、彼にとっては、談話においてこのような表現にするならばよいのです。もう1回言うと、「戦後を、それ以前の時代に対する痛切な反省とともに始めた」というところですが、つまり「反省」は入っています。そして、平和を願ってきたと続きます。ただ、「それ以前の時代に対する痛切な反省」とは具体的に何なのか、と聞かれると、この文言では非常にあいまいです。
―― 「侵略」も「植民地支配」も入っていません。
若宮 あるいは、侵略も植民地支配も入っているとも取れますが、そうは言わないわけです。ということで、この種の表現にして、前向きなものにしていきたい、ということなのだろうと思うのです。
●お詫びは不要も、歴代談話の「再確認」や「踏まえて」は必要
若宮 私は、もう一度、村山談話のような言葉を繰り返してお詫びする必要はないと思うのです。それは、戦後50年にやり、60年にやっているわけですからね。明確なものは1回やればいいので、10年ごとにお詫びの談話を出す必要はな...