「道徳の起源は感情にある」とアダム・スミスがかつて唱えたように、また東洋の考え方でも道徳は理性だけでなく、感情や身体に基礎づけられる面もある。現在のAIにはその基盤が欠けているのではないか。では、もしAIが身体性や性差を備えた存在として進化したら、AIと感情の問題はどうなるのだろうか。今回の講義では、これからのAI時代に向けて、人間の思考・感情・道徳的進歩の価値を再認識した上で人間の再定義について考える。(2025年7月12日開催:早稲田大学Life Redesign College〈LRC〉講座より、全7話中第6話)
※司会者:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●「道徳の起源は感情にある」
―― 私も出口さんの『AI親友論』を読み、そして中島先生からいただいたこのレジュメを読んで、1つ非常に印象深かったのは、動物がWEの1個だと書いてあるのだけれど、具体例が入っていないことです。中島先生がお書きになっているのは、もし仲間であるならば食べてしまっていいんですかということですね。AIは処分しないでいいですと言っておきながら、片や仲間である動物は食べるということがどうして許されるのですか、という問題提起は非常に重要だと思いました。
また、出口さんの『AI親友論』を読んでいて、道徳的フィルター――(つまり)今おっしゃったようなところ――を考えたときに、人間は必然的に身体性を伴った有限の存在なので、老いて、病を得て、死んでしまうような流れもある。あるいは、例えば欲ですね。異性に対する欲も含めて、そういうものが全部あるということをどうしますかということで、たぶん道徳体系は作られてきたと思います。
そういうものを持たないAIというものが、道徳をどういう次元で捉えるのか。例えば、その動物を食べてはいけませんとか。最近は植物も非常に生物的にいろんな働きをしているということがいわれていますから、必ずしもベジタリアンだから許される話でもないのかもしれないということになってくると、生きていく上ではそれでも食べなければいけないということになると思うのです。しかし、その感覚がないAIがどうやって道徳を持つのか、すごく不思議だなと思ったのですが、そこはどのようにお考えになりますか。
中島 道徳の起源についても、古来、本当に長い長い論争があるのです。道徳は理性に基づく、これが主流です。そして、理性ですが、reasonとかratioというものですから、もともとは計算するという意味です。
そうすると、AI、(要するに)computeというものが計算するということですね。そのようなものになじみやすいといえばなじみやすいわけです。つまり、理性的なある命題群を道徳というのなら、それを装備したAIは可能といえば可能なのです。
しかし、今の問いは、道徳はそういう理性に基礎づけられるだけではなく、人間の、もっといえば身体――欲望は身体ですから――とか感情というものに基礎づけられる面もあるのではないですかということで、これも歴史が古いわけです。
例えばヨーロッパでいうと、スコットラン...