●「英霊」を祀る神社として長く機能
靖国神社をめぐる問題は、戦後の日本の政治史や外交史において、非常に長きにわたり懸案とされている、実に古くて新しい問題であり、ここにきてまたクローズアップされたという感じだと思います。
そもそも靖国神社とはどのような神社で、何がこの参拝で問題になるのかということからお話していきたいと思います。
靖国神社は、もともと明治維新の後に出来たもので、最初は「招魂社」という名前だったようです。これは明治維新にあたって、徳川幕府が倒れて明治政府ができた後も日本の国内で戦乱があり、その時に新政府をつくる側の侍や兵士が亡くなったのですが、この人たちを悼む施設としてつくられました。ですから、いわゆる賊軍と言って、幕府側についたり新政府に反抗した、例えば西郷隆盛さんや会津の白虎隊といった人たちはここには祀られていないのです。そういう問題はあります。
しかし、いずれにしても明治政府ができた後は、今度は主として、日清戦争なり日露戦争なり、そのまま太平洋戦争に至る大きな戦争があるわけですけれども、外国との戦争で亡くなった人たちの魂を祀る、これを「英霊」という呼び方をしますが、そのような神社としてずっと機能してきたのです。
そして、太平洋戦争・第二次世界大戦で日本が負け、この神社をどうするかということを占領軍は考えました。普通の神社と違って国家が管理・運営してきた特異な神社であり、それが戦意高揚につながるというような役割を果たしてきたことから、占領軍はこの神社をどうしようかということで、廃止論やつぶしてしまおうという議論もありました。ですが、やはりさすがに宗教施設ですし、亡くなった人の魂を祀るというような所を廃止してしまうと、これはまた問題だというので、一民間の普通の宗教法人として残そうではないかということになり、それが今日に至っているのです。
●国家護持のため「靖国神社法案」提出も断念
ところが、戦後、特に遺族会などから、もともとこの神社は国家が運営し、兵隊さんたちも亡くなってから「靖国で会おう」というようなことを思い描いて亡くなっていったというようなこともあり、やはり普通の神社とは違うのではないか、これはやはり国家で予算も投じて国家が管理すべきではないか、という要求がかなり出てきました。そして、自民党がその要求を踏まえ...