●遺族会票の獲得が総裁選公約の背景に
靖国参拝の問題ですが、前回は中曽根康弘総理が1985年に公式参拝し、それに対して中国で大変な反発が起きて、それを受けて中曽根さんが翌年からの参拝を見送ったというお話をしました。
その後の総理大臣は、例外は少しありましたが、それを受けて基本的には参拝しませんでした。特に8月15日は全くしなかったのですが、小泉純一郎総理が2001年に登場します。
小泉さんが、総理在任中6回にわたり、毎年1回ずつ靖国神社を参拝しました。それにより、中国や韓国が大変反発し、東アジアの外交が大変混乱を来すということになったのです。そのことについて少しお話ししたいと思います。
小泉さんはもともと、靖国神社にそれほど熱意のあった人ではありませんでした。2001年春、総理大臣になる前に自民党の総裁選があり、この時に「靖国神社に8月15日に毎年参拝する」ということを、総裁選の公約にしたのです。
なぜそのようなことをしたのか。1つには、小泉さんは総裁選の少し前に、鹿児島の知覧にある特攻隊の基地を訪問しました。そこには特攻隊のいろいろな遺品などが展示され、遺書がたくさんあるのですが、そこで思いを非常に強くしたのです。「戦争、国のために自分の命を犠牲にしたこういう人たちの霊を、慰めなきゃいかんな」ということに目覚めたというのですが、それで靖国に行くと言い出したのです。
もう1つの政治的な動機としては、総裁選は自民党の党員の選挙ですから、その中には特に遺族会の方が多く、遺族会の票をいただこうという作戦で、8月15日の靖国神社参拝を公約したと解説されています。私もそうなのだろうと思っています。
●退陣間際の2006年には8月15日に参拝
そして、この年、「8月15日に行くぞ」ということになったものですから、実は中国などから事前に「それはとんでもない」「約束事に反する」というような反発が来ます。それで、この年はわずかに15日は避け、前倒しで13日にお参りしたのです。小泉さんは、それで中国はまあまあ納得するのかと思っていたらしいのですが、結果はあまり変わらず、中国ではやはり批判が強く巻き起こります。
小泉さんはその後、中国を訪問し、「歴史認識で過去を正当化するつもりで参拝したのではない」という意味から、過去についての真摯な反省を述べたり、あるいは韓国にも行ってそういう発...