●「公式」を打ち出した中曽根総理の靖国参拝
靖国神社の参拝問題の続きです。前回は、三木武夫総理が戦後30年を期して、1975年8月15日にお参りしたという顛末をお話ししました。それから10年後、今度は戦後40年を迎えます。その時、今度は中曽根康弘さんが総理大臣として8月15日に参拝するのですが、三木さんとは全く違い、内閣総理大臣としての公式の参拝にするという方針を打ち出したのです。
それまでも三木さんの後、何人かの総理が靖国神社を参拝することがありました。中曽根さんも、実はこの公式参拝の前に何度も靖国神社を参拝しており、それまでは「公式とか私的とかは言いません」などとあいまいな形でお参りしていたのですが、この8月15日の参拝にあたっては、中曽根さんらしく「それではいけない。戦後40年にあたって、はっきりと公式参拝をしよう」と打ち出すのです。それで挙行したのが、1985年8月15日でした。
皆さん、ご記憶でしょうか。群馬県の御巣鷹山に日航ジャンボ機が墜落して、大変な犠牲者が出たことをご記憶かと思いますが、それが同じ年の8月12日ですから、3日前のことでした。そういう世間が騒然とする中でしたが、それとは別に、中曽根さんは、靖国神社に閣僚たちをぞろぞろ引き連れて、仰々しくお参りをしたのです。
●憲法違反にならぬよう参拝の形に工夫を施す
三木さんの参拝の時、私は若い政治記者として取材にあたったというお話を前回しましたが、たまたまこの中曽根さんの公式参拝の時も総理官邸を取材する立場にありまして、この顛末を取材しました。
当時、靖国問題というと憲法問題との兼ね合いが難しかったので、中曽根さんはこれを何とかクリアしようということで、内閣のもとに有識者を集めて懇談会を開きました。そして、憲法にそむかない形で参拝ができないかという答申を出してもらいました。なかなかすっきりした答申だとは思いませんでしたが、それでもいくつかアイデアを出し、憲法違反にならないようにということで参拝しました。
例えば、お参りに行っても、靖国神社では本来、拍手やお辞儀の仕方に形式があるのです。そこで、その形式をとらずに、昇殿して、一礼して深くお辞儀するということで済ませたり、あるいは、玉串料を出すというと問題ですが、供花料・お花代として政府からお金を出すということで、参拝を済ませたのです。そして記帳には...