●「大丈夫」をつくるため、早くから本質を教えた江戸の教育
『大学』は、このような非常に短い文章がこの後も18ほどあり、中国古典の中では短い方に入ります。しかし、ここまで解説したように、早くも6歳の時から社会人としての心構えをしっかりと教え込んでいるのです。
江戸期の教育の目的は、立派な大人をつくることです。立派な大人のことを孟子の言葉で「大丈夫」と言いました。「大丈夫をいかに一人でも多くつくるか」が、国家を挙げての教育の基本とされていたのです。
では、「大丈夫」である立派な大人とはどんな大人のことか。非常に重視されたのは、人間性と社会性でした。今時の言葉で言えば「人間力と社会力」になりますが、それらを備えた人を育てるのは、簡単なことではありません。長期間かけてやらなければいけないことです。
当時は何しろ15歳で大人になりますから、短期間しかかけられません。生まれて15年間で何とか立派な大人にするためには、いとまはなく、余計なことをする余裕もありません。小学校へ入った最初から、非常に本質的なこと、人間として重要なことを学びました。
人間にとって大切なことを習得するには時間がかかるため、早くから始める必要がある。こうした考えが、江戸期の教育の基本にありました。そういう意味で、江戸の教育に学ぶことが非常に重要ではないかとわれわれは思うのです。
●立派な大人=リーダーに必要な二つの役割とは
次に、立派な大人がどのような役割を背負っていくべきかについて、お話し申し上げたいと思います。
立派な大人の役割は、正しい方向を決断し、そちらへメンバーを引率することです。一つは、正しい方向を決断すること。もう一つは、メンバーをそちらへ引率=リードしていく(よって「リーダー」と言う)こと。この二つから成り立っています。
私は現在、企業の幹部社員に対する研修をずっと手掛けていますが、いかにおぼつかない人間が多いかを思い知らされてばかりいます。
まず、「正しい方向を決断する」ことを非常に不得手とする人が増えてきました。何がいけないのか、何が足りないのか。皆さんはよく「決断力が足りない」とおっしゃいますが、本当にそうだろうか。そこが、問題のポイントになります。
●「正」の字から社会が混乱する最大の要因を知る
答えは、実は「正」という字に隠されています。「正」という字は何からできているのかがヒントです。この字は、「一」と「止」からできている、つまり「この線で止まれ」という字なのです。いかなる人物も、正しいことをやろうと思えば、「この線」がなくてはならない。「この線」とは、「規範」、すなわち、基準のことです。
基準がないとどうなるかは後ほどお話ししますが、基準なしに生活はできませんので、皆が非常に自分勝手な基準をつくってしまうのです。それを「世の中の常識だ」と思って行動する人が多くなりますので、社会が混乱する最大の要因になってしまいます。
また、基準が共有されていないと、何が起こるか。例えば、私の「1センチ」と皆さんの「1センチ」が違っていたら、建物一つ建てるときも互いの違いを言い合わなければいけません。これは、社会的に非常に大きな問題です。
にもかかわらず、この「規範」を形成する教育は、戦後の教育にはありません。江戸期には、これから説明する「四端教育」が行われていました。そこで、規範形成こそが、社会を動かす立派な人物になるための要点だとして、規範形成教育が幼年教育の中心に置かれていたのです。
●規範や価値観が崩壊した「アノミー社会」への警告
戦後は、正式な形での規範形成教育はありません。なぜかと言えば、それは「占領軍の政策」ということになりますが、それからもう何年経つのでしょうか。今からでも遅くはありません。何としても正式な形での規範形成教育を行い、日本人として揺るがない「規範」を誰もが共有する社会にしていくことが非常に重要だと思います。
かつて、山本七平さんという碩学がおられて、いつも「規範がない社会は、非常に危ない社会だ」と、嘆いていました。
戦争に行かれた山本さんによれば、戦争末期には「軍規」という軍の規範が崩壊していたそうです。上司だろうと何だろうと、自分が生きていくためには奪い取ってでも食べていく状況が起こっていたというのです。
そんな非常に恐ろしい社会を自分は体験したが、今の状況をこのまま放置すると、日本全体がそのような社会になってしまうだろう、という警告でした。
山本さんは、それを「アノミー社会」と名付けました。社会規範や価値観が崩壊してしまい、「これだ」という社会の基軸が見当たらない不安定さを指す言葉です。